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サイババ


サイババが亡くなった。
なんだか自分が自分らしくなくとっても不安だったとき
ふと手にとったのがサイババの本だった。
それが、彼との出会いだったかもしれない。
僕は信者というわけではないのだけど
気がつくとインドに行き、アシュラムに立ち寄るほどだから
そこらへんの信者よりも信者らしい?のかもしれない^^

サイババといえば、手から砂を出したり
病人を一瞬で治してしまったり
容姿ひとつとってみてもどこか怪しげな
魔術師のような雰囲気を持った御仁だww
僕も初めてTVを見たときは、大方そのような印象をもった。

でも、面白いもので人は完璧なタイミングと
置かれた完全な状況で一瞬にして恋に落ちる

他人の偉大さを推し量ろうとするとき
どれだけのことを成し遂げたかで判断しようとする
けど、大切なのは自分に何をもたらしたかですよね
彼が本物か偽物か一生懸命論争するよりも
問題は僕自身の変化だと思うんだ
その意味で、彼は僕と同時代に生きた恩師の一人だとすら思う

特にサイババのアシュラムで味わったあの数日間は
今でも忘れることができない。

あらゆる人種と、あらゆる宗派や習慣をもった人間が
ごたまぜに一所に暮らしていながら
いがみ合うこともなく、それでいてお互いを尊重するでもなく、
ただ、当たり前に、そこに咲いてるタンポポをみるかのように
すべての人が、「サイラーム」と挨拶しながら行き交っていた。

なんの強制も、努力もない「当たり前」さの中に
僕は底知れぬ安堵を感じたんだ。
こんな場所が、地球にも存在していたんだ!

僕たちはこの先、地球上にこんな「当たり前」の調和を
広げていくことができるのだろうか。

心よりご冥福をお祈りいたします。
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コメント(2) Category:一般/日記 | Date:2011/04/29 07:39


コメント

1. hrs2t [無題]
自分らは結構つらい時代を生きていると思う。一時代の価値観はすぐに壊れてしまう。親子の世代感覚も違うから余計に頼るものがない。個人が個人で自らが信じられる価値観を持っていくしか生きるすべはないとだと感じる。
強いて言うなら個人が聖書を持てるようになる過程で起った宗教革命に通じるものがあるように思う。ただし今回は聖書はない。価値観は出尽くしていて、それらをどうブレンドし自分に合わせ自分を持っていくか、こんなに苦しい時代はないかと思う。

だれもが次を思い感じ考える信じ次への進む。そんな時代かと思っています。
posted by hrs2t at 2011/05/15 03:32 [ コメントを修正する ]
2. D15 [無題]
現代は生き辛いか~。価値観がないというのはとても辛い感覚だよね。聖書があるっていうことそのものが救いになるってあると思うね。それが個人の聖書であってもなんでも、それが心を支えてくれているんだろうね。その心棒を無視しようと誓った僕ら現代人はやっぱりどこか不幸なのかもしれないねぇ。

結局、昔のしがらみから逃れようとして、同じようにいろんな習慣に囚われて生きているよね~。否定することは自分を縛ること。。。何にも囚われない次のステージにほんとに踏み出せるのかなぁ。。。
posted by D15 at 2011/05/17 23:19 [ コメントを修正する ]

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