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自分の小さな「箱」から脱出する方法(アービンジャー・インスティチュート)

Date:2013/05/19 10:25

僕はほとんど全てのコミュニケーションはイェスで成り立つのじゃないかと言う理想を持っている。みんな多かれ少なかれ自分の都合に合わせて物事を捻じ曲げて認識している。そういう能力を持ってる。それぞれが真実を歪曲できるならコミュニケーションは都合よく全てイェスだけで成り立ってもおかしくないんじゃないか。ところが日常の会話を注意深く観察していると、逆に必要以上に否定的でマイナスなノーのコミュニケーションで溢れている。テレビのコメンテーターや評論家をみると僕らはノーのコミュニケーションを好む傾向があるのかもしれない。これがまた余計な摩擦を生む。僕らは真実を都合よく捻じ曲げられるほどに賢くそして愚かな生き物だともいえる。

面白い本を見つけた。僕らがどのようにノーのコミュニケーションに陥り、また相手を追いやっているのかが非常に分かりやすくそして楽しく解説されている。本の中では「箱に入る」と表現されていた。また、これをイェスのコミュニケーションに転換する=「箱から出る」ことでどれだけの生産性がアップするかを見せつけられたような気がする。



そもそも最初に「箱に入ってしまう」のはなにが要因なんだろう?書籍では「自分への裏切り」と表現されていた。何かを誰かのためにしてあげたいとか、してあげるべきだと感じた良心に逆らった瞬間、人は箱に入る。一度箱に入ると自分のとった行動を常に正当化することにしか関心が向かなくなり、相手をやり込めたり事実を歪んで見るようになる。道端で転んでいた子に手を差し伸べてあげたい(でもしなかった)。仕事で急いでいたし、あの場には他に手を差し伸べられた人がたくさんいた。でも、手を差し伸べてあげたかった自分の気持ちを裏切った事実は変わらない。それを覆い隠すように更にノーと言える理由をひたすらに探すようになる。あんな人混みを一人で歩かせる親はなんてひどいやつなんだ。時にはその状況を正当化するために誰かを責めることになる。事実は何も変わらない。でも箱に入ると事実を見る自身の視点が変わる。

箱に入ったコミュニケーションは相手をも箱に押しやってしまう。こうやって、箱に入った同志、自分を正当化するためにお互いを否定し合うことに協力的なマイナスの場が広がっていく。

ここでは、対人間の箱についてしか書かれていなかったけれど、これは人だけじゃなくて、苦手な仕事、コンプレックス、持病などなど、物事に対しても僕らは箱に入る習慣があるんじゃないかとも思った。例えば、運動が苦手な人が、「運動をしたい」という自分の素直な感情を裏切った瞬間に箱に入ってしまう。一度箱に入ると、それを正当化する事実ばかりを探し始める。運動以外にも家事をやらなきゃならないんだ!仕事で忙しかったんだ!食事制限もしてるし私だってちゃんと努力はしてるんだ!論理武装がどんどん固まって、しまいにはそれを他人に指摘されただけで怒り出すようにもなる。

箱に入ることが簡単なら、出ることも実に簡単。その事実に気づけばいいのだそうだ。相手を思いやったり、自分が箱に入ってたことで傷つけたのではないかと想像した瞬間に僕らは箱から出ている。

この本を読んでいて、自分の感情に誠実になることが実は最も効率的で、シアワセへの近道なのじゃないかと感じた。残念ながら今の社会では、生活のため、会社の利益のため、業績のため、立身出世のため色々な「〜すべき」ことで溢れているにもかかわらず、不思議なことに自分の良心や感情に従いなさいと言ってるものは極端に少ない。自分に背く行為こそ、生産性を下げ、摩擦を生み、無駄を生んでいる。静かに自分と向き合い感情に誠実に、そして他人に優しく思いやりを持つことが、よりよい社会の効率化へのカギじゃないかと思える書籍だった。








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