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地球の掟(アル・ゴア)

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アル・ゴア(元米国副大統領)の映画&本が話題を集めてる。地球の環境問題についてのものです。僕もその流れに乗ろうと(!?)話題の本とは別物ですが15年ほど前に書かれた「地球の掟」という本を半分くらい読んでみたところ。アル・ゴアって大統領選でブッシュ現大統領と僅差で渡り合った候補者。ちょうど渡米してた頃にリアルタイムで見ていた大統領選であり今でもよく覚えています。

ブログでは度々触れているので環境問題そのものというよりは、この本を読んでいて感じたことをちょっと書いてみようと思います。

環境問題を扱う上でも、「情報」という切り口があるのだと強く感じた。僕らは日々どこかから情報を仕入れて、その情報をもとに「何か」を信じて行動に移している。「情報」ってなんなんでしょうねぇ?環境問題を考える上で一番難しいのは、情報と理論が「完璧でない」というところにある。これだけの環境変化は人類史上初めてのことで、前例はないし、指標もない。まして、地球の46億年という長い歴史に比べて、人は100年というとても短いスパンでしか物事を見ることができず、近視眼的になりがちだ。様々な研究自体がどこまでが有用なのかの決定打もない。結果がでないのだから。しかし、結果がでてからでは意味がない。いずれにしろ、こういう中でも僕らはどこかから情報を仕入れて、そっから「何か」を信じて選択している。環境問題を深刻に捉えてみたり、執拗に懐疑的になってみたり。。。

情報過多になり気味の最近だけど、、、世の中の大部分は今でも未知なる領域だ。それに対してほんの一滴ほどの領域を僕らは科学で「知っている」と思っている。この部分に僕らが日々得ている「情報」が含まれている。この情報は更に2つに分けられる。自分の体験を通して得られたものと、他人の経験や話から見聞きしたもの。僕らのいう知識の大部分は後者の「見聞きした情報」から成り立っている。「教科書に書いてあった」真実をいったい何人の人が自分の体験をもとに真に知っていると言えるのだろう?むしろ信じることを僕らは「知っている」と言い切っている。つまり、世界の大部分は「知らないこと」と、「知っていると信じている」ことで成り立っている。

情報が溢れ出している現代。大衆をコントロールしようとする情報戦略も巧みになっている。環境問題に対する懐疑論者は単に反対意見を述べることよりも、環境問題のデータそのものの不確実な要素をばら撒くことのほうがよほど効果があることを知っている。以前、ブログで環境問題を扱ったことがありますが、ここで僕自身が地球の温暖化について懸念を書いている。環境問題についてすぐにでもアクションを起こすべき時だからこそ、不確定要素を明確にし優先順位をつけた効果的な対応が急務ということがいいたかったのだが、今思えばこのような書き方をすれば反って環境問題に対して慎重にならざるを得ない。自分自身が情報に振り回されているのだと心に痛いところがある。

結局、情報ってのは受け手の受け取り方でしかない。僕らはほとんど知らないことだらけの世界で非常に狭い視野をもって生きている。根も葉もない情報で論理武装を固めながら。。。どうして僕らはこんなにも近視眼的でカッコばかりの知識に頼るようになってしまったんだろう。情報を受け取り解釈するのは僕ら自身だ。知識は何も生まない。そこから何かを生み出すのは僕ら自身だ。300年後の地球を思い描く想像力を知識は決して与えてくれない。大きな視点を持たなくてはいけないのは僕ら自信であり、それを可能にするのは知識ではなく僕らの人間性であり智慧だ。何が正しいとか、最新の研究がどうだとかいう議論はそろそろ科学者にまかせておけばいい。一人一人が何を感じ何を信じて何を選択するのか、これ以上に重要なことなんてないんじゃなかろうか。。。
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Category: | Date:2007/03/29


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