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お昼ごはんと格差社会(2/3)

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前回に続いて、今回は個人の話題から社会の話題へと話を進めて行こうと思います。ただ、真に自分の価値観に目覚めたら、社会のルールなどどうあっても関係なくなるはず!?そこは一旦、棚に上げておいて、よりいっそう僕ら自身の価値観に意識的であるために社会構造はどうあるべきだろう?なんてことをうだうだ考えることがある。


僕らは今だにただ生きることに不安を覚えている


まず「生きる」ということについての基本的な不安要素を取り除くこと、これが命題じゃないかと思うんです。数千年前は生きるための活動が生きる事のほとんどの部位を占めていた。現代、我々先進諸国では充分に食料が行きわたり、生きることそのものに費やす活動はほとんどなくなったと言ってもいい。ところが、それでも現代人は生きるという基本的な土台に未だ不安をぬぐえずにいる。今年の収穫や食料に注意を払わなくても良くなった替わりに、誰もが就職難だ失業だと騒ぎ、年金問題に老後の不安を募らせる。未だに人類はただ生きていることすら不安なのだ。



「医食住」を保障する


衣食住じゃなくって、医食住ですね。医療、食料、住まいです(ここでの趣旨とはずれますが教育も)。部分的にこれを実践している国や地域はいくつかありますね。これが全ての人類に保障されるべきじゃないかなぁ?自分の活動が生きる事への不安に煩わされず、充分に意識的であれるように。その上で人々はやりたいことをやればいい、あるいはやらなければいい。生きることにただ不安になり、人は余計に変化を恐れ過去に固執しようとする。もちろん、そればかりじゃないとおもうけど。



生活を保証したら人は働かなくなるか


ただ、いくつか問題はあります。だいたい、これを保障するだけのお金を誰が出すのか?とか、これを保障したら誰も働かなくなるんじゃないか?とか。

このお金をだすのは、(まぁ、大富豪がいて、ぽい!と、出してくれるのが一番いいんですけど)恐らく税金とか、税金とか、税金でしょうね?(笑) ただ、このように自分の活動に意識的である社会では、税金は今の社会とは恐らく違っていると思います。先日の収入ではなく支出によって自分の活動を意識するという話にも通じますけど、「個々の価値観によって支出が図られる」のなら税金とは徴収されるものではなく、むしろ進んで提示するものになる、はず。もしかしたら、このような税金システムを持つのは国ではなく、もっと透明性が高く自分のコントロール下に置きやすい小さなコミュニティーになるかもしれませんが。例えば、家族のために毎月お父さんが払う生活費なんか考えてみるといいかも。これは、徴収されているのか?考えようによっては、これも税金とかわらない。

働く人がいなくなるんじゃ?という疑問ももっともですねぇ。この話をすると必ずこの反論にあいます。。。が、応戦できません^^;そういう人も出てくるでしょうね(笑) ただ、働かないことは悪い事か?人の釜の飯を食って生き、晩年に人類にとってのかけがえのない遺産を残した偉人など幾らでもいる。彼らの人生は悪か、無駄か?そんなの個人にしかわからんのです。「社会として」の問題は如何にして無駄や不必要な不安に人々が煩わされる機会を減らすかということじゃないかと思う。

とはいえ、これは僕の勘ですが、まったく働かない人は全体の2割くらい。逆に、よりいっそう自発的に働く人が2割くらい。後の6割は義務感なり、外的要因に煩わされながらもとりあえず働くことになるのではないでしょうか?働かなくてもよくなっても、働かない人って以外とこんなもんだと思います。現在の社会だって、無給でも精力的に働く人も居れば、高給でも嫌々働く人もいる。このへんはあまり違いはないのじゃないかと思ったりします。

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Category: | Date:2007/09/11


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