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環境のいま

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チームマイナス6%って最近よく聞きます。これ世界140カ国で取り組んでいる地球の温暖化の抑制を目的とした活動からきています。2012年までに国内のCO2排出量を6%削減しましょうという運動です。今、地球の環境問題を考える上で代表的な活動となりつつあります。こういう活動が世の中で注目されるのはいいことですね。いろいろ調べていくうちに環境問題について興味深い内容をたくさんみつけたので一部紹介です。

環境問題の問題の問題!?

環境問題って切迫した状況だと思うんです。ですから何が重要な課題で、どっから片付けていかないといけないのか真剣に考えないといけないんです。この辺のことを調べてみると結構わからないことだらけ。実は環境問題の問題点は、何が問題なのか把握することもできていない、という現状かもしれない。こう聞くと驚くかもしれませんが、CO2が地球の温暖化と密接な関係があるというのは事実ですが、人間が排出したCO2が地球の温暖化を招いているという根拠はまだないんです。むしろ最新の研究ではCO2は温暖化の原因ではなく、気温上昇の結果としてCO2の増加現象が見られるのだという見方もある。(参考:自然のしくみ大気中二酸化炭素濃度と海面水温・気温の関係)地球自身が体温の高低にあわせて呼吸しているような感じですね。もしかしたらCO2の増減自体が地球の活動の一旦で、人間の出すCO2が壊滅的な影響を与えているということ自体がウソかもしれない。そんな中、CO2の削減ばかりが環境問題の最重要課題のように取り上げられるようになった。罰金制度までもうけているのだから、もしかしたら将来「なんてバカな制度をつくったもんだ。。。」と言われる事になるかもしれない。つまり、温暖化にしろそれがホントの原因かどうか実のところ誰も答えられないまま話だけが先行している。オゾンホールだって結局フロンが原因じゃなさそうなんですよ。(参考:環境問題における『常識』を再検討する)まぁ、その話はおいといて。兎に角、やっていることが結構微妙なわけですよ。ここではCO2削減の是非を問いたいわけじゃなくって、環境への研究そのものがここまで進んでないってことに僕自身とても驚いたんです。チームマイナス6%を含む活動を否定しているわけじゃないんです。でも、この切迫した状況の中でもっと優先度をあげて対応しなきゃいけないことがあるならこんな悠長なことはしてらんない、と思うわけです。

2007.6.29 加筆 →→→
この辺りは、補足しないといけないかもしれません。後で調べているうちに、別のことも分かってきた。"人間の活動がCO2の増加につながっている"という見解は、どうやら科学者の間ではほぼ100%一致した意見のようだ。過去十数年間に発表されたどの論文をみてもこれに反するものは皆無に等しい。ところが、一般のメディアで公表されている放送や記事の統計をとってみると賛否は急に五分五分に割れる。(参考:不都合な真実)それぞれの利害と思惑が錯綜する中で、情報の真偽はどこにあるのだろう。問題は科学ではなく、それをとりまく「社会環境」なのかもしれない。
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地球というひとつの生態系

そもそも・・・
地球という惑星は真空空間にぽっかり浮かんでいて、太陽エネルギーを除いた物質活動は地球内でほぼ閉じているといえる。理科の授業で○○保存の法則なんて習いましたが、エネルギーや物質というのは決していきなり現れたりはしないし消えたりもしない。地上で何者かが活動し資源やエネルギーを消費し続ければ結果として廃物なり廃エネルギーなりが出続けることになる。それでも地球にこれらが蓄積されていかないのは、この閉じた環境の中で地球は実に壮大な循環機能を持っているから。この循環機能によって地球は絶妙にエネルギーや資源のバランスをとり続けている。これには川海や大気の流れだけではなく、哺乳類からバクテリアを含む全ての生態系が重要な役割を果たしている。まさに地球は大地の自然と、そこに生活する全ての生態系を含めてひとつの大きな生命体といえる。人間もこの浄化システムの一部として"生きる地球"に貢献している。ただ、この地球の浄化能力を超過した消費活動が行われたときに地球の循環システムが破綻し生態系に大きな影響を与える。これがいわゆる環境問題なんです。人間の使う資源やエネルギーの消費と、地球の浄化能力とのバランスが崩れてしまうことが懸念されているわけです。

人の営みと地球のバランス

だから、環境問題を解決するためにはこの循環システムのバランスをとるように人間の消費を抑えるか、人間の営み自体をこの循環システムに上手に適応させていけばよい。ただね、この文明社会のなかで消費を抑えるというのは非常に難しい。ゴミゼロ運動とか、リサイクル活動とかが盛んに行われておりますが、こういうものも「闇雲では」あまり効果がでないことがわかってきた。今のリサイクルとかゴミの分別っていうのはそこで分別することで満足していますが、リサイクルっていうのはその物が再利用されてその結果、同様の資源の消費削減につながって初めて効力があったと言えます。でもリサイクル資源がどのように活用されているかあまり僕は知らない。社会の中での生産活動は需要と供給とのバランスがとれて始めて意味をなしますので、たとえリサイクルをしても需要のない回収はただのゴミの回収と変わらないんじゃないですかね。需要のないところに回収品だけがたまっていけばやっぱり困窮します。これにより多くの回収業者の倒産が相次いでいるんだと思います。また、リサイクル品をそのまま流用するなら話は別ですが、大抵の場合リサイクル資源を分解し再利用するようなことをしています。リサイクルという活動自体にも再利用するためにエネルギーが必要なわけです。これも見逃しがちな点ですが、リサイクル自体もまたエネルギーの消費なんです。消費活動がある限り廃物は必ずでます。ですからリサイクルを続けてもゴミが完全になくなるわけではないんですね。もちろん、やらないよりはやったほうがいいに決まってますが、消費を抑えるとかゴミをなくす方向で環境問題を解決しようというのにも限界があるということですね。

ゼロエミッションとは・・・

そこで最近提唱されているのが、ゼロエミッションっていう考え方ですね。これは人間の営み自体をこの循環システムに上手に適応させていこうという試みです。地球ではある生態の汚物は別の生態の資源となり、その生態の汚物はさらに別の資源を生む(つまり地上では汚物は存在しないわけです)この繰り返しが何億年もの地球の生命活動を支えています。この考え方を人間の社会にも適応しようという試みです。こういった試みを提唱しずいぶん前から実践している人でグンター・パウリという人がいます。ある産業の廃棄物を別の産業の資源として活用できないか。廃棄物やゴミはなくならないが、廃棄物を別の資源として扱えるような循環型の社会構造を目指そうというものです。例えばよくコーヒー豆の例えを出すのですが、僕らが口にしているコーヒーの液は、コーヒーの木の全体の0.2%に過ぎない。残りは生産地に農業残余物として残るか、豆を挽いたカスとしてゴミに棄てられている。しかし、コーヒー農場からの廃棄物を活用すればきのこの栽培ができ、きのこの廃棄物を牛の飼料とすることができ、牛の排泄物を集めてバイオ消化機にかけることができる。さらにバイオ消化機からの廃棄物で藻を育てることができ、藻の廃棄物を飼料育成の栄養とすることができ、それが魚を育てることができる・・・飼料を買う必要などないんです!それなのに、僕らはたった0.2%コーヒーを「消費」し続けている。(参考:[PDF]人口爆発を再考する)グンターパウリさんはその活動の広さに僕自身が以前から非常に感銘を受けている方。このブログのタイトルも彼の主催するZERIという団体からちょいとパクった感があったりなかったり。彼の話を始めると長くなるので今回はここまで。

あらためて環境問題を考える

環境問題というのは、単に有機栽培をしましょうとか、CO2を削減しましょうとかいう問題だけではないんですね。過剰な消費を促す社会構造を考えなおさないといけない。そのための産業社会の問題でもあります。それを構築するための基盤作りや大掛かりな研究がもっともっと必要になるでしょう。また、第三世界を覆う貿易の問題でもあります。世界の利益構造をめぐる途方もない挑戦でもあります。この問題を解決するために僕らはお互いの理解と忍耐を学び、自らの生活習慣の方向転換を迫られるかもしれない。人間はこれまで科学技術によって周囲を自分に適応させようとしてきけれど、地球の大きな生命活動に適応し、またその活動を促す手助けをしないといけないんです。環境問題って、こう考えると僕らの生活の一端にまで影響する大きな決断と分岐点なんだと思います。
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Category: | Date:2006/08/23


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