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らぶぁんどぴーす ~想像力~

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想像力を働かせてみる。
僕ら個人が暴力のない世界を創造するには何をすればいいんだろう。


平和と武力 - 成功率の極めて低いミッション

武力による抑止には限界がある。
使ったら最後、事故による誤作動も許されない。
そんな核をいくつも保持するなんてのは誰が考えてもナンセンスだ。

以前、著書でダグラス・ラミス氏が確かこんなことを言っていた記憶がある。
武力による解決とは、最終的には勝ち負けでしかない。
勝ち負けである以上、ミッションの成功率は50:50なのだ。
例え勝ったとしても、それなりの代償を払わなくてはならないのだから
成功率が高いミッションだと言うには程遠い。

使ってもダメ、使わなくても大量の軍事費が首を締め付ける。
これがほんとに地球上で考えうる最善の方法なのだろうか?


新たな抑止、分散化

抑止力というのは、拳銃を頭に突きつけられたまま生活をしているようなものだ。
これは、必ずしも求めている暴力のない世界ではない。

組織は、大きくなればなるほど持つ暴力性も大きくなる。
テロのような突発的な暴力から守るためにも
なんらかの自警団のようなものは必要かもしれない。
ただし、こうした組織は同時に凶暴化の危険性をはらんでいる。

解決策は分散化ではないかと思っている。

自治区をより小さく細分化する。
そこでは、目の届く範囲で政治が行われればよい。
持ち回りで自警団を形成してもよい。
集団は小さくなればなるほど、凶暴性は失われる。
家族会議にバズーカ砲は必要ない。

国家はあってもよいが、国民はいらない。
各自治体の利害に属さない国家があり事務的な雑務をこなすだけでよい。


あらゆる暴力

軍隊だけではない。
現代社会のなかには、「正当化された暴力」が至る所にある。
正当化された暴力とは、住民の生活の安定など
ある特定の目的のために、国家や組織などに特別に許された特権のことだ。
例えば、僕が道端で誰かに殴りかかれば犯罪になるが
警察官が、警棒を振り回しても公務とわかっているから誰も咎めない。

それが、正しいとか間違いとかいうのではなく
社会のルールにのっとって運用されている今現在の常識だ。
それは、人類が編み出した知恵のひとつだと言っていい。

軍隊、これは一番わかりやすい正当化された暴力の一例だ。
警察、これについても治安を維持するための暴力の一つだ。
裁判、裁判制度についてはわかりにくいかもしれないが、
これも正当化された暴力の一つと考えてよい。
悪いことをしたからといって、ひとりの人間を裁き何十年ものあいだ
拘束し、監禁し、時には殺傷するというのは、やはり暴力である。

この様に、許された暴力というものが僕らの周りには日常的に存在している。

これらについても分散化、小規模化したコミュニティーの中では
撤廃あるいは、最小限に抑えることが可能だと思われる。


非協力という力

僕らは世の中を変えるために何が出来るだろう?
世の中を変える簡単な方法は、それを「しない」ことなのじゃないか
なんだか、けむにまいたような言い方だけれども…。
ガンジーの非暴力運動の根源もここにある。

裸の王様現象だと思えばいい。

王様をみて、洋服が見える!と信じて
ついていく人がいるから王様は王様でありえる。
王様は裸じゃん!!とみんなが思い
王様についていくことを「やめた」ら?

もし、国家の暴力に反対なのならば国に対して非協力をすればいい。
1 人ではなにも意味をなさないが、、、私は日本国民ではありませんと、
全員が宣言したら、もう日本なんてものはその時点でなくなるのだから。
非協力という協力は、武力よりもよほど大きな力を持っている。


想像する1000年後

うだうだと平和と武力について書いてきたけれど
やっぱり、僕は抑止力による平和ではなく
暴力のない平和を目指したい。

100年後の地球。。。そして1000年後の地球を想像したとき
その想像の中に抑止のための殺戮兵器がまだ見えている?
そういう世界を子孫に残すことを望んでいる?
今は不可能だとしても、可能な未来を目指すのなら、
まず第一歩を踏み出さないといけない。
全ての創造物は、人間の想像力から生まれるのだから。

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Category: | Date:2010/05/14


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