「どうぞお好きに」を口グセにしてみる
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誰かの行動にイライラさせられるとき
理不尽な何かにとりつかれた時
「どうぞお好きに」と思うようにしている。
人はそれぞれにバラバラの「正義」を持っていて
たまたま自分の思いにそいつが反しているとき
その誰かや何かにドッと落ち込んだり
ムスっと腹をたてたりもする。
世の中には「誰か」も「何か」もないんだよ。
僕らはめいっぱいの制約の中生きていて
器を持った「自分」がそこにいる。
口に合わない他所の水をその器にどう注ぎ入れるかに
僕らの生きる価値があるんだ。
誰かが車中大声でワイワイしていようと
物分かりの悪い同僚がヘラヘラとしてようと
「どうぞお好きに」。。。
大事なのはとことん自分がどうするか…だから。
その判断こそが自己をいかようにも決めつけるんだ。
「誰か」も「何か」も自分に枠をはめる枷なんだよ。
そこから解放されれば、自分以外は何もなく
また全てがそこにあることそのものが自己なんだ。
近頃はね、それがガラリと逆転しちゃっている。
判断の基準を自分の外にしか求めない。
誰かがそう言ったから
法律でそう決まってるから
適正な利益を生むことができるから・・・正しい?
そうなるとその意思に反している「誰か」を
自分の「何か」に引きずり込みたくもなる。
それを僕らはなんやかんや正義って呼んでるんだ。
おおよそ目に見える相対するものの中に
「正しさ」なんてものはないんだよ。
さぁ、今日もお天道さまが見ている。
みなさまどうぞお好きに。
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Category:哲うこと |
Date:2012/09/26