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ゼロの言葉

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世の中に色が「白」しかなかったら、、、
目を閉じても、目を開けてもただ白しか目に入らなければ、、、
そこに「白い色がある」とどうしてわかるだろう。
色という言葉さえ生まれることはなかったかもしれない。
色はただ1色そのものであるときその姿を消してしまう。

僕らの住む世界は相対関係の中で成り立っている。
黒色があるからこそ、白色だとわかる。
赤色があるからこそ、白色だとわかる。
白でないモノによってのみ白は白でありえる。
この相反する矛盾こそが、あらゆるモノを存在「させて」いる。
その対比をやめたとたん、全てのモノの存在は消え失せてしまう。
ちょうどただ1色の白色のように。。。

あらゆるモノ・・・
醜さなくして、美しさを知ることができるのだろうか。
悪なくして、善を知ることができるのだろうか。
「あなた」なくして、「私」を知ることはできるのだろうか。

ほんのすこし自分の意識に注意深くあれば
全ては自分の意識のなかで作り出した関係性から生まれ出ていると気づく。
この関係性を無視したとたん全ては消え失せてしまうのだから。
醜さとは美しさの1つの側面にすぎない。
悪とは善であることの1つの要素なのだ。
私は私以外の何モノかによって私でありえる。
このどちらかの極が消えれば、対極もなくなってしまう。

宇宙に実体なんてほんとにあるのだろうか。
全てのものはあらゆる相対した関係性のなかから作り出される幻のようだ。
これが多くの詩人によってこの世は儚き幻と詠われたことの所以ではないかな?
うん。僕はそんな風に思う。

全てが幻だと気づいたとき、全ての関係性がなくなってしまったとき
僕らはその全体性の中に溶け込んでいく
醜さでもなく、美しさでもない
真の美しさなどだれも定義できやしない
それはただ2つのモノの間に副次的に生まれる尺度にすぎない。
ありのままの美しさに満ちるとき、それはただ全体性のなかに溶け込んでしまう。
美も醜でもなく、それを超えたところに。。。
ただ1色の白のように。

それをどのように言葉にすればいいだろう。
たぶん、言葉になんかできやしない。
言葉を発したとたん、言葉は相対を作り出してしまう。

そこには何も無い。ただトータルとしての存在がある。
無の境地とはこのことなのかもしれないね。
「無」が「在る」とは、よく言ったもんだ。
てっとり早く、神と呼んだっていい。
なんと呼んだところで、どれも的を得ない。
無という言葉は、無でないものを作り出す。
神という言葉は、神でないものを作り出す。
僕らが認識できる枠に収まるよう、言葉達は常に分離を生みだす。
そしてまた幻の世界に引き戻される。

言葉の届かない全体性-------
存在そのものこそが宇宙の実体だ。
ただ完璧にそこに在る私こそ。





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Category: | Date:2007/06/16


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