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言葉の不思議

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ブログを整理していたら、去年の10月くらいからお蔵入りになってた記事がでてきた。このころはちょっと悩んでいたんですかね。最愛の人にだって自分の思いを伝えることってすっごく難しい。相手の心がCLOSEであったなら、言葉なんてただの記号。。。


言葉の本当の意味は聞き手まかせ


渡米していたころ、言葉って魔法のようだと感じたのをよく覚えています。言葉って感情とのマッチング作業なんですよね?自分の感情にマッチする言葉を「選ぶ」と、それが相手に意味をもって伝わる。それって聞き手にとってもマッチング作業なんですよね。そうやって意思を共有する。つまり実際のところ、どういう感情をマッチングさせているのかってお互い「相手任せ」にならざるを得ない。もしかしたら間違えてマッチングしているかもしれない。同じ言葉で同じ感情にマッチしている確信は信頼関係の上になりたっている。


言葉を選んでいるようで選ばれている感情


この言葉のマッチングってとても不思議。僕なんか外国語が苦手でしたから、このマッチング作業に苦労しただけなのかもしれませんけど。言葉を「選ぶ」という作業で、逆に自分の感情を固定させているように感じることがよくあるんです。例えば失恋した時、あぁ、悲しい!と思うと文字通り悲しいと感じてしまうんです。胸が苦しいと思えばそう感じる。でも、ほんとの感情っていうのは、割り切れなくてもっと切ない思いと、悔しさ、すがすがしさ、苦しさ、憎らしさ、嫉妬みないなのがぜーんぶ一緒になってごちゃ混ぜになってる。でもそれを悲しいと表現したとたん、悲しいという感情に「おさまっちゃう」んです。ボキャブラリーの少ない言語で生活していると自分の感情が非常に淡白になります。微妙な心の動きは適当な言葉におさめられちゃうんだと思うんです。そんな風に感じました。人は言葉で考えている上、言葉で現実を創造しているようなところがあります。


結局は同じと信じる心


こうやって考えると、言葉って魔法のようです。だからこそ、とっても大切にしないといけないと思うんですよね。今の現実の一部は自分の言葉が生み出している。コミュニケーションでも言葉の表現はしゃべっている本人ではなく、聞き手が自分で創造しているんです。想いを共有できない僕ら人間にとって相互理解ってのは結局は「信じる」こと以上になれない。だからこそ信じる心。この信頼が崩れたとたん、言葉はただの記号の集まりになる。そうやって、いまだにいわれのない争いが世界のそこかしこで今も続いている。その現実を自分自身が作り出していると気づかずに。とかく視野の狭い僕ら人間は未知に対する恐れから自分のわかる範囲に理屈をネジ込んで理解したつもりになっちゃったりします。相手が自分の理解の向こう側に持っている「何か」を純粋に信じる心がとっても大切なんじゃないかと思ったりします。


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Category: | Date:2007/04/22


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