忍者ブログ

ガンジーの危険な平和憲法案(C・ダグラス・ラミス)

Date:

オバマ大統領が非核運動の功績を認められてノーベル平和賞ですってね!^^
おめでとうございます!


武力を持たない国家を模索


そもそも、武力や暴力をもたない国家の存在って不可能なんでしょうかね?今更時代遅れ・・・とか言われてしまいそうですけど^^;やっぱり僕としては単なる「非核」ではなく「非戦・非暴力」による世界こそがあるべき姿だと思ってしまう。ところが、ガンジーの比類ない非暴力運動によって独立を勝ち取った「あのインド」ですら、独立後に現れた国家はなんてことないフツーの軍事国家でしかなかった。世界で唯一、崇高な戦争放棄を謳う憲法をもつ日本でも中身は自衛という名の武力を持ち、安保という間接的な軍事力を持ったフツーの国家でしかない。やっぱり、、、不可能なんですかね。。。


一冊の本との出会い


先日、一冊の衝撃的な本に出会った。「ガンジーの危険な平和憲法案」
ガンジーはそもそも非暴力によるインドの創立を諦めてはいなかった、と言いうのです。



ガンジーの政治思想の根底には鋭い権力分析があると言います。"権力は腕力でもなく、暴力でもなく、思考力でもなく、組織力でもなく、神力でもない。権力は、その権力によって管理され、振り回され、抑圧される人の協力から発生するものだ、という法則である。" つまり、権力とは権力者が実際に「持っている」物ではなくって、その統治下に置かれた庶民が自ら公共施設に通い、税金を払い、指定された教育を受け、またそれに順ずる仕事を請ける・・・庶民自身の「協力」によって絶大な権力の力が生まれている。だとすれば、その権力に協力しない(非協力)ということ自体が、権力の衰退につながり、おのずと非暴力により権力はその効力を失うというんです。どんなに強力な王様がいても、その国の国民だ!と演じる人がいなければ王国などなりたたないのですから。


そもそも、戦争ってなんだろう。


殺人をすることは犯罪だけれど、その規模が国家間のことになると大義になる。ここのところが、やっぱり頭の固い僕としてはどうしても納得がいかない。同本のなかで、その1つの理由が上げられていました。戦争は両国間の了解のもとお互いの正義をかけて行われているという約束事なのだと。つまりね、ストリートファイトをやったら犯罪だけど、リングの上でお互いの了解があって正式なルールにのっとってやるのはスポーツなんだと。。。なんだか、拍子抜けするほどあっけない理由だったのですが、政治っていうのはそもそもそういう机上の約束事の上になりたったものなのかもしれないですね?

ここで話は非戦に戻るのですが、厳密なルールにのっとって(場合によっては自身の正義にのっとって)戦争は行われているため、ストリートファイトと違って戦争をするためには必ず大義名分が必要になる。お互い戦おう!ということで同じリングにあがったなら、人殺しも許されるんだと。それが人道的かどうかはここではひとまず考えない!ですからね。逆に、一方がリングにあがりません!と宣言したとたん、それは(ルールにのっとってない以上)重大な犯罪になる!っていうんですね。この単純なルールこそ、ガンジーが目をつけた非暴力の発想なのですね。非暴力は単なる人道的な行動(もちろん、その意味合いが強かったけれど)だけでなく、確固とした政治テクニックだったのだと言うことでしょうか。


戦争はよくて、テロはダメ?


テロと戦争ってどこが違うの?って、無差別だからとか色々意見はあるでしょうけれども。僕の勝手な考察ですが、この単純な試合のルールにのっとっていない、ということの一点により犯罪というレッテルが貼られるのではないでしょうか?ただし、忘れてはいけないのは、テロを起こしたグループにしても、「自身の正義・自身のルール」に従って行動を起こしているという点です。絶対的絶大な軍事力を保持し、他国を力により制圧(事実はともかく、されていると少なくとも当事国は思っている)し、それでいて正規のルールにのっとっていないからテロは犯罪だというのは、見方によっては非常に独善的だと言えなくもない。回りくどいけどさ、、、何がいいたいかって、テロに対してもこの非暴力・非武装のテクニックは有効なのじゃないかと思うのです。テロであろうと戦争であろうと、ことの真偽はどうであれ大義名分が必要なんだっていう単純なルールがある。政治的な理由でなくとも人を殺めるということには尋常でないエネルギーがいる。それを鼓舞するためにも大義は必須なのです。だからこそ、どんなに大義名分をならべても抗うことのできないほどのルール違反を植えつけることができれば、非暴力・戦争放棄によってこそ戦争は避けることができるのではないか。。。そんな気がするのです。(やはり九条を世界遺産にしたら。。。ボソボソ)


非暴力という戦略


また話がそれましたが、、、ガンジーはこの非協力と非暴力という2つの強力なテクニックをつかって、インドを独立に導いたのだと言います。「国を維持するには戦力が必要である」という通説や、「権力奪取のために暴力意外に他に方法がない」という通説は、インドの独立運動を実例にあげればそのどちらも必要な条件ではない、ということになりそうですね。

実現はされず幻となってしまいましたがガンジー自身が構想した憲法草案というものがあるらしい。それによると、ガンジーが本気で非暴力によるインドを再建しようとしていたことが伺えます。戦争放棄は夢ではなく、現実可能なのじゃないかな・・・と本気で思わされました。

余談ですが、ガンジーの草案では、「村構想」によってインドを再建しようとしていたようなのですが、個人的には妙にそこにヒットしました(いつも無駄に語ってるもんね・・・^^;)また、この村構想自体が非暴力と切っても切れない関係にあるという新たな視点もあったりと、、、昨日から頭のなかでDQのテテテテ、テッテッテ~~(レベルアップの音)♪が何度も鳴り響いております。


戦争放棄は、現実不可能な理想なのか、、、是非この本を読んでもう一度考えてみて欲しい。



PR

Category: | Date:2009/10/10


忍者ブログ [PR]