たまには、根拠のない話
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人となりをお金で判断するとき
どうして社会人は収入で判断されるんですか?資本主義だから?資本を指標として世の中が動いているのは、それはそれでいいと思うんです。でも、なんで収入で判断されるんでしょう。銀行でローンを組むときも、お見合いで自分をアピールするときも、年収1000万です!なんて言えば、評価が高くなる。収入を仕事の結果だと見るなら高額の収入を得ているほうが有望だということになる、ということはわかります。ですが、その人となりを表現するのは、むしろ収入ではなく支出じゃないかと思うわけです。このちょっとした発想の違いが最近の僕の気になることの上位に入っている。
いくら稼いだかでなく、何に使ったか
ちょっと発想を転換してみてほしい。年収1000万ではなく、支出が1000万だとしたらみなさんの評価はどう変わるだろう?さらに内訳を見て、300万が生活費、700万を交遊費に使ってたら?200万を生活費、800万を貯金してたら?または、500万を慈善団体への投資していたら?。。。とか。。。これは収入以上にその人柄を物語る。そして、収入以上に「使い方」が問題になる。
もし、世の中の仕組みが収入ではなく、支出でカウントされたら。。。
将来有望でありながら、短期的な結果を出せずに倒産してしまった会社は、どのように評価されるのだろう。有害な商品でボロ儲けしている会社を見て市場の適正なニーズだ!などと言い張ることができるだろうか。
仕事のスタイルも変容する可能性がある。
仮に僕が、年収500万かせいでいるとする。ところが、僕の年間の生活での支出が250万だったら、残りの250万はなんだろう?この計算だと、僕は通常の半分の業務をこなせば充分だということにもなる。ノイローゼになりながらも、ぎつぎつに仕事をする必要などない。必要に応じて、適切な仕事を選べばいいのだ。支出が大きければその分、しっかりと働けばいい。収入によって支出を決めるのではない、支出によって収入を選択する余地が生まれる。
貯金の考え方
たくさん稼いで将来の貯金に250万を溜めればいい?その考え方にも抵抗がある。貯金などが流行るのは、社会に安定がないからにほかならない。お金など単なる人間の活動の物差しに過ぎない。死んだお金こそただの無駄だ。僕らは利便性のためにお金を利用している。お金とは所有するものではない(何者も所有などはできない)。ただ利用するものだ。ここにとらわれるからこそ、搾取が起こりえるんじゃないか。ま、貯蓄が無駄だなんていうと怒られてしまいそうだけど。
あまり根拠のない話でした。
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Category:社会 |
Date:2007/08/01