情報でいっぱい!
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先日、朝日新聞の社説を読んでいたら、「昨年1年間で、全世界では1610億GBのデジタル・データが生成・複製された(米IDCの調査結果)」なんて一文を見つけた。これがどのくらいかっていうと、過去に地球上で印刷された全ての本の300万倍の情報量に匹敵するんだそうだ。2010年にはこれが6倍になるといわれている。この呆れるような数値を見ても、これらの情報が全て効率よく管理されているとは到底思えない。ほとんどの情報はゴミ同然。それでもゴミのようなデータも数が集まったり、しっかり整理されさえすれば有効な情報として扱えるのは事実。そういう意味で、ちょっとコンピュータがいじれて情報の統制が取れる人がもてはやされている。
情報のゴミの中に咲く花
とはいえ結局、情報のゴミ溜めのなかで自分のまわりの「ゴミかき」をしている程度のもんじゃないかと僕は思う。こういう膨大な情報の渦の中で僕らは生きている。これがどういうことなのか、未だ僕自身にもわからない。ただ、知識として情報を蓄積することにどれだけの意味があるのか疑問に思うようになってきた。情報なんて結局際限がない。人間はこの膨大な情報の中のほんの一部分でお互いに優劣をつけ、耳くそほどの違いに幻滅する。そして、朝露の一滴にも満たない情報のみで世界を知ったつもりになっている。ほんとに大切なのは情報ではなく、それをいかように活用するかという人間性だったり、情緒だったりするんじゃないか。。。そんな風に考えるようになった。
情報フィルターが性格を生む
情報って色々な定義がありますが、ちょっと違った視点から見てみようと思う。人はこの世に生きる限り、ふつう自分以外の人やものと意識を共有することができない。外部から来た情報を頭の中で処理して「共感した」と感じているにすぎません。ですから同じ情報も受取る個人によって変化します。好まざる結果を嫌悪感で受け取るのか、暖かい心で受け流すのか、誤解を恐れずに言えば結局人は自分の見たいものを見、感じたいものを感じている。情報をどのように自己で処理するかによって自分という人間が決定されるんだと思うんですね。自分を棄てるのも自分を救うのも自己の意識なんです。この世に溢れかえる情報の中で、その情報を処理するフィルターのようなもの、それが僕たちの性格です。(フィルターという表現が適切かどうかはわかりませんが)これは社会でも同じだと思います。社会にも同様のフィルターの性質があるんじゃないかと思う。どういうフィルターを持つかで、その中で生活する人間にどんな負担がかかりどんな楽しみがあるのかが決まります。つまり情報の扱い方によって人間性や、社会のあり方が大きく変わってくるということです。
どんなフィルターを持ちたいか
この数十年の短い期間に、情報のあり方というのが目覚しく変化している。数千年の長い歴史の中ではじめてこの情報の「あり方」というのが根底から覆されようとしている。僕らの生活はもちろん、今を生きる全ての人の人間性や個性にも影響する大きな転換期なのだと考えたほうがよい。ありとあらゆるものがデジタルデータ化され、蓄積されていく中で、僕らは何を目指しているのか?情報社会っていえる時代に何を求めるのか?って、あんまり考えたことないんですよねぇ。情報社会では情報はどのように扱われるべきなのか?どういうフィルターをかけて、そこに暮らすどんな生活を求めるのか?テクノロジーばかりに気をとられ、この辺の目的がはっきりしないから、ゴミ溜めをいつまでも整理できないんじゃないかしら。技術は進歩しますから、大抵のことはどうとでもなる。問題は「どうしたいか?」なんですね。IT関連職に就く僕が投げやりなこと言うようですが・・・結局のところ、その答えはIT技術からは導かれない。答えを出すのは今ここで暮らしている人の人間性なんじゃないのか。社会の中でどうしたら僕らがみんな幸せに生活できるのかってことをこれからみんなが真剣に考えていかないといけないんじゃないかって思いました。
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Category:社会 |
Date:2007/05/10