戦争
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「愛国心」を強調する教育基本法が話題ですね。
これを授業(?)で扱い、子供を評価するんだって!
「皆さんが想像するような愛国心とは意味合いが違う」っていってるけど。。。
すでに、これだけ誤解を生んでいる表現にどれだけの永続性と価値が宿るんだろう。
教育は国家百年の計である。
国を愛する気持ちなど、自分の居場所に価値が見出せれば自然と育まれるはずだ。
それを教育の基本にするっていう意図がよくわからない。
この教育の先に何を求めているんだろう。。。
どうも愛国心とか言われると、頭の片隅に「戦争」という文字がちらつく。
また、そういう連想を起こさせてしまう力がこの言葉にはある。
自国を知り愛することは他国を愛し尊重する上でとても大きな意味がある。
その意味では、自国を愛するということ自体は尊重されてもよい。
ただ、愛国心という言葉には他を拒絶した独善的な「におい」がつきまとう。
どのように表現しようと、この「におい」を完全に払拭できないのなら
教育基本法などに盛り込むべきではない。
時期を同じくして、防衛庁が「省」に昇格する。
少しずつ、軍事国家への道をたどりつつあるんじゃないかと不安を
感じているのは僕だけではないはず。
北朝鮮の核問題やらテロによる紛争が絶えないこのご時勢において、
非戦なんていっているのは現実的ではないってことなんでしょうかね。
だからこそ、「非戦」の価値を今一度かみしめたい。
僕らの国はどこに向かっているんでしょうね。
やれ戦争だ、国防だ、軍隊派遣だなんていいますけど。
戦争に行け!と命じられたら人間をこの手で殺しに戦地に赴かなければならない。
その役どころを演じるのは誰でもない僕らですもんね。
数年後に僕は誰かを合法的に殺しているかもしれない。
これをリアルに考えてみると恐ろしい。
自国の利益を守るために他国を侵害することは、
例え勝ったにせよ負けたにせよ後世に大きな負の遺産を残すことを
僕らの先祖は痛いほど学んだはずだ。
自国を守るためには、結局は他国を理解し尊重する以外に近道はない。
その意味では、人類共通の利益のために立ち上がることと
自国の利益を守るためにまい進することとはまったく同じ道であるべきなのだ。
一方を残し他方を蹴落とす争いには解決の未来などない。
どこまでも続く果てしない怒恨の鎖が連なっているだけ。
ならば無抵抗に核爆弾をガツンと打ち込まれていいのか?
非戦国家を謳う以上、僕らはこのきわどい問いにも答えをださなきゃいけない。
自国を守るために力には力で鉄壁の壁を作るのか
あっけなく消滅してしまう国家の可能性を背負いながらも
共通の理解を求めて、あらゆる可能性を尽くしてまい進するのか。
決して命を粗末にしてよいなどというつもりはない。
そのような全ての可能性を今一度リアルに考えてみてほしい。
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Category:社会 |
Date:2006/12/15