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未来のカタチ・・・(宗教)<1>

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さて、僕の勝手なインスピレーションではじめたこのシリーズですが、社会の問題を個人の成長の過程や目に見えない気づきを出発点に据えているのが、このシリーズの面白いところじゃないかと思いながら書いております。するとやっぱり、避けて通れないのが宗教の問題ですよね。今回はめずらしくゴールがみえておりませんが、思うところをだらだらと書いてみようかと思います。


世界と日本の宗教


現在、世界では9割以上の人がなんらかの宗教を信仰しております。米国ですら大統領就任の際には聖書に手をかざして宣誓するのですもの。僕が感じるには、日本はむしろ例外的な国で、学校教育でも社会のなかでも宗教という言葉を口にすること自体がタブーとされているとうなところすらある。誰に聞いてもほとんどの人が、「私は無宗教です!」と答える。ところが毎年受験前には合格祈願に行き、年始には初詣といって神社に参拝する。新宿の高層ビル街に突如として巨大な御神木が現れたり、今もなおいくつもの神社仏閣が丁重に保護され続けている。今日本にはどのくらいの数の神社仏閣があると思いますか?宗教法人に登録しているお寺や神社本庁で管理されている神社だけでも15万近くあると思います。それ以外に個別に管理されている祠なんかも入れたらその数倍になるのでしょうね。実際にどれほどの数になるかわかりませんが、日本全国のコンビニの数が5万3千程度ですからその多さが想像つくでしょうか?これだけの数のものが朽ち果てずに今も残されているところに単なる無宗教とは違ったものを感じます。日本という国はとてもエキゾチックで奥深くひじょうに信心深い国なのです。少なくとも海外からの観光客にはそのように映ると思います。別にだからといって、素直に宗教を信じなさいよ!と言っているわけじゃありません。逆にここにどの宗教にもこだわりを見せない日本人の可能性が秘められていると思うのです。


宗教の光と影


もともと、宗教は人生をよりよく生きるためのガイドラインみたいなものだと僕は思っていて、特に開祖のブッダやキリスト本人が何を意図していたのかを学んでいると、その時代時代により「常識」だと思い込んでいた非常識をいかに否定し人間らしい生活を取り戻そうとした献身的で非凡な活動だったのじゃないかと思えてきます。ところが、後に人々は宗派に固執し、ある時は教団の存続のために利用し、いつのまにか宗教は新たな抗いようのない恐怖に似た「常識」を植えつけてしまったように思います。よりよく生きるための指針が今やあらたな人類の足かせとなっていることは残念ながら僕自身も否定することができない。

それがわかっていながら、世界中の人々はやっぱり宗教に依存し続けています。宗教を否定しているわけではないのです。僕はむしろ信仰を肯定している。唯物的に生きることよりも、ある意味信仰心をもった生き方がよほど豊かで充実している側面があることを感じる人は多いと思う。人生の目的を信仰心に見出そうとする試みは、人が自らの本質であろうとする自然な求道なのだ。ただ、宗教に固執しそこに気づかずにいる不自由な世界を否定しているのです。それを助長するあらゆる宗教を否定している。ところが、このしがらみから人類を解放することは並大抵ではない。だからこそ、聖戦という矛盾に満ちた理論の元に今もおびただしい血が世界で流れている。


不思議な日本人の宗教観


それを考えると、毎年初詣に参拝する労力を惜しまないながらも、「私は無宗教です!」と言い放つことのできる日本人は、世界の中でも際立って特殊だと思います。そこにある種の不思議な思想の中立がある気がするのです。

<つづく>

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Category: | Date:2009/10/17


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