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未来のカタチ・・・(宗教)<2>

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宗教と恐れ


宗教と恐れっていうのは、セットみたいなところがある。未知なる存在を恐れることで現実の生活がより道徳的で規律あるものになる。そのようにしてある程度の時期までは自制心を与え、より人間的な精神性の向上を見込めたはずだ。とは言っても、これだけ情報が蔓延し混沌とした世界では、恐れに頼ってうまくないのじゃないかという思いがあります。現代の子供や大人に単純に恐れを植えつけることが幸せを生むのかな。なぜなら宗教の「恐れ」にはウソがあるから。宗教には哲学的な側面と、生活面の意識向上を図るための便宜的な方便が含まれている。それに潜在的に気がついているからこそ世界の宗教はどこか不透明でこれほどの苦しみが満ちているのじゃないかと思うのです。


宗教の本質は恐れとはかけ離れている


むしろ宗教と恐れというのは、本質的には正反対の性質を持っていると僕は思う。原始仏教なんかを見ていても、恐怖をそそるようなものって出てこない。この世の中は苦。だからそれに振り回される人々を見て「そこから離れなさい」と母親の目で見つめるような暖かさだけがあった。キリスト教を信じない人は煉獄に行く(んでしたっけ?)とかって言われたことありますが、そんな記述もなくって、ただ「隣人を愛しなさい」と言っただけでした。そこには非常に愛情深く全てを洗い流す力強い言葉があります。ところが、どこからともなく宗教に恐怖の要素が加わり、「信じないと救われない」となった。。。キリスト教は地上で始めて戦争を聖なる戦いとして擁護した宗教になってしまった。「敵を愛しなさい」と教えられた教義に殺戮を擁護できる要素などどこにもないはずなのにね。お釈迦さんは自分の言葉を文章として残すことを禁じていたそうです。聖書にしてもキリストが生きているときに書かれたものではないんですね。きっと言葉が独り歩きして、色々に脚色されたり過度にそこに執着してしまうことを懸念したのでしょう。彼らの時代を見る目は天才的だったと思います。結局、彼らの言葉は死後に弟子達によって幸か不幸か文字になり、数千年という長い間にいろいろに解釈され今に至っております。時代によって聖書は幾度となく書き換えられ、削除されたりしております。イスラム教にしても、ブッダやらイエスをモハメッド同様の偉大な預言者として他教を認めた寛大な宗教だと思いますが、後にアラーが神だとか、こっちが下に見られただとかそういうことで長い歴史の中で、本質が見逃されてきたのでしょう。十字軍やジハードにその欠片を感じることはできません。今伝わっている教義が全て本来の意味をそのまま伝えているとは限らないということです。


宗教のための宗教など存在しない


そもそも、彼らは宗教を作りたかったわけじゃなかったと思うんです。人が意識的に生きようとし、幸せになれればそれでいい。苦しんで禁欲的に生きなさいとも言ってない。左の頬も出せっていうのは何もガマンしろって言ってるわけじゃありません。敵ばかりの苦しい世の中なら、敵すらも愛し苦しみそのものから離れて楽しもうよ!って言ってるんです。苦しむことがよいことって仰る方も多いですが、そもそも生きることは苦しみなのだから、その苦しみから脱して幸せに暮らすことこそ人間らしい上品な生き方なのです。そのための知恵が彼らの言動から溢れ出ている。そのどこにも恐怖が入りこむ余地はないはずなのです。

宗教の中の恐れにはウソがある。


利害のために利用された恐れる心


ところが、庶民がみ~~んな幸せになっちゃったら、「神」なんて必要なくなる。本来はそれでいいんですが、それだと教団は困っちゃう。教団に携わっている人や、それを政治的に利用している人は困る。だから、宗教は完全には不安を取り除かない。。。現代の宗教はとても政治的でビジネス的だと僕は思う。宗教は人生の愉しみを禁じ、性を抑圧し、不安の中に人を分断する。陳腐化した信仰を与える代わりに、本来あるべき人生の愉しみを奪ってしまった。地獄やら悪魔、天罰なんてものを作り出してきた。そうやって教団を大きくしてきて、それが次第に「常識」になってきた。仕組みや言葉は違えど、「言うとおりにしないと救われないよ?」・・・そうやって宗教自身が恐れを生み出してきたんです。


恐怖の連鎖を俯瞰する日本の立ち位置


何百年と続いているこの恐怖の連鎖こそ、人類を「神の名」のもとに分断している元凶なのではないでしょうか?現代の宗教の根底は、神を祝福するという純粋な想いよりも、この恐怖や不安の要素が色濃く根付いている。心理的抑圧は人を暴力的にする。小さい頃からそのように教育されてくることがどれだけの抑圧を生むのか彼らを単純に非難することはできない。程度の違いはあれ僕らの身近にもこれに近いようなことは日常的に起こっているし。とはいえ僕ら日本人はこの恐怖から少し退いたところに立っていることを幸運に思うべきなのかもしれない。。

ただ、かといって信仰を失った僕らが幸せか。。。というと、これはまた別の話。。。

<つづく>

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Category: | Date:2009/10/25


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