未来のカタチ・・・(民主主義)<1>
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最近の世の中に対する漠然とした不満だったり、無力感っていうのはどこからきているんでしょうね?民主主義だからっていつも選挙に行ってますけど、あれで何かが変わっているのかな?なんて思うのは僕だけじゃないはずですよね。。。
民主を感じる瞬間
自らの「民の」意志で社会が変わっていく実感を感じることってあります?でもこれが民主っていうんだからそうなのでしょう。それに、選挙って僕みたいな庶民が政治のエリートを選ぶなんてのもおこがましい気もする。大統領選挙なんて特に、いったい何人の人が彼らエリート政治家の思想を理解しているんだろう。結局、人気だったり力のある人がなんとなーく選ばれていく仕組みにしかならないんじゃないのかな。。。って、非常識と言われてもそう思ってしまいます。
代表民主主義
今の民主主義は、代表民主主義といって民主といっても選挙によって代表者を選び、僕らの変わりに政治を執行していただいている。直接民主主義っていう地域もあったようですが、現在の社会は大規模かつ複雑になりすぎてこれは現実的ではない・・・というのが政治学での常識ということらしい。僕みたいな政治のド素人(だからこそ?)は「選挙って民主的なのかなぁ?」なんて思わず考えちゃいますが、こういう仕組みからきているのかもしれないですね。
もともとは民主的と思われていなかった選挙制
最近読んだ本で知ったのですが、むかしは選挙制って民主主義とは区別されていたようです。アリストテレスなんかが言うには古代ギリシャでは、選挙は貴族制と呼ばれていました(人気やら財力により貴族が最終的に選ばれてしまうから)。民主主義は誰にでも平等であるべきということで採用されていたのが「くじ引き」だそうですよ! 18世紀の米合衆国建国当時でもまだこの考え方には変わりはなかったようです。13からなる連合国から連邦政府を作ろうとした際に、細かく配慮された仕組みでエリートを選挙で選び強力な中央政府を作ろうという試みがなされました。当時は選挙制は民主主義とは考えられておらず、国王制から逃れ新天地でせっかく芽生えた民主主義の芽を摘み取ろうとする反民主主義だとして反対運動まであったそうです。この反対運動は実らず、当時で言う「民主主義派」は負けた。。。つまり、米合衆国憲法を書いた人は民主主義国を作るつもりはなかったんですねー。ところが、19世紀になって合衆国全体を民主国家と呼ぶようになってくる。。。それに世界が追従し、国家のイデオロギーとして代表民主主義が世界に浸透するようになったんですね。つまり、憲法や仕組みが変わったわけではなく、民主主義の定義が変わったということのようですね。
常識も移りゆく
人間の言葉と心や想いもやっぱりつながっていて、内面を言葉で表現するだけでなく、言葉で内面を定義しているような部分ってありますよね。ところが、言葉って相対的な隙間を表現するから、どこか浮いたようなところがある。良くも悪くも、当たり前の非常識だったことも、歴史や社会のなかで言葉だけが変わっていくと、いつのまにかそれが常識になっちゃう。今の世間が「民主」的だ!と言われると民主的なのだと心も思ってしまう。言葉にたよって言葉で生活している以上、こういった現象はいつまでもついてまわるのでしょうね。
ま、とにかく
ではこれから未来の子供達に向けて、「本来の」民主ってどういうことなの?
っていうことを僕らの世代が考えていかないといけません。
<つづく>
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Category:社会 |
Date:2009/10/22