忍者ブログ

未来のカタチ・・・(民主主義)<2>

Date:

なんとなく、この無気力な社会に住んでいると、どこか民主主義の限界がみえているような気がしてしまいますよねぇ。前にもそんな記事を書いたけど、改めて民主主義のありかたを考えてみることにします。

民主主義のなかの非民主的な社会


今の社会って、民主政治のなかに非民主的な産業経済社会があるような気がしております。産業経済っていうのも、ちょっと過激な言い方をすれば奴隷制の現代版だと言ってもいいんじゃないかと僕は思うのですが。。。こう言うと、今は昔と違って会社などを辞める権利があるわけですから、奴隷制とは違う!といつも反論をされます。。。でも、時給数百円程度で命の危険な作業をなんの保障もなくさせられている労働者の話を聞いたこともある(国内ですよ!)。ホワイトカラーが優遇されてると言たって、巨額な資産を持った者に、その収入の数%にも満たない賃金をもらい自己の家族との時間や健康を害してまで勤め続けるサラリーマン。。これを見てなお辞める権利があるから・・・という理由で人間らしい正当な労働だと言い張れるだろうか。。。とにかく、産業革命の当時は庶民にとって賃金労働は屈辱的な思いだったのを数世代たって僕らはわすれちゃったんですね。欧州では20世紀前半まで賃金奴隷という言葉まで残っていた。自分の貴重な人生の時間を賃金に変える行為は当時は「非常識」だったんです。常識は今も昔も作られたもので、ずっと変わってきたしこれからも変わっていくはずですものね。その上で、何が人間的な活動なのかを見極めていかないといけません。すると現代の経済社会はとても異常に見えてくる。まずは、この産業経済社会の仕組みを民主化しなくてはいけないと思う。


非民主的な存在、軍隊


軍隊も非民主的な存在ですね。有事の際には自分の意志と関係なく、上官の命令をうけて人を殺しに行かなければなりません。何か起こったときだけでなく、現代の常識では平時のときですら国には軍隊は常備されている。この仕組み自体も、本来の民主性の足をひっぱってる。民主的な軍隊なんて、、、ありえないですものね^^;もし、完全な民主的な世の中を実現したかったら軍隊を放棄した道をこれから僕らは模索しなければならないと思う。本来、軍隊と民主主義っていうのは両立しないものだと思います。


民主主義って?


ちょっと道をそれますが、そうはいっても、そもそも民主主義が僕らの未来の最終系かどうかなんてわからないですね。仕組み自体が人間が作り出したものですから、完璧なんてないだろうし、時代によって有効性も変わってくるでしょうものね。もしかしたら、あえて国王制みたいなものの方が現代社会では上手くいくのじゃないか?なんて言う考え方もないでもない^^ そういう発想は大事ですよね^^ただ、僕は思うんです。民主主義って人類がやっと手に入れた初めての人間らしい発明だったと思うんです。ところが、残念ながら民主主義の常識そのものがいつのまにかすれ変わってしまった。現代の地球上のどの国のなかにも、本来の民主主義を実現している場所はたぶんない。それになにより、まだまだ野蛮な地球文明の中で、民主主義以上に人間味のある仕組みも今のところ思いつかない。。。もっといい仕組みが近い将来また発明されるかもしれませんが、それまでは民主主義を簡単に捨てる前に、もう少し可能性を探ってみてもいいのではないかと思う。

民主主義の新しいカタチ


民主主義は選挙でも多数決であってもいけなくて、僕はやはり完全一致でないといけないのではないかと思う。完全一致の民主主義。。。10人いたら、10人が Yesというまで議論は続けられないといけない。代表を選ぶにしても、多数決ではなく10人全員の合意があってなされなくてはいけません。それには、今のような都市政治ではなく、もっと一人一人の顔が見える小さなコミュニティーでなくちゃならないような気がするのです。数百人とか数千人程度のコミュニティーが理想じゃないかしら。。。コミュニティーの代表者同士の集まりからなる中央政府はあってもいいけれど、それはあくまで事務的な必要な管理を行うためだけのものであればよくって、道路だったり郵便だったり、地域全体の利便性のために必要な事務というのは必ず出てくるはずだと思います。

そして僕ら一般人は、権力のありかたについてもっとしっかり教育がなされるべきだと思います。権力というのは、権力者そのものの力ではなく、権力に甘んじている庶民の協力によって力を持つという構図がしっかりと理解され、訓練されなければいけないのじゃないか。例えば、国王がいるためには、臣民がいなくちゃ成り立たちませんよね。「わしは国王だ!」と威張ってみても、まわりに誰もいなければ何も起こらないんです。民衆の組織への協力がなければどんな組織もその力を失う。民主である以上、権力は民主にあるという事実を実感を持って学ばなければならないのではないでしょうか。権力に対しての参加は全体一致をもってなされる。そして、抗議は非協力によってなされるという事実が教育によって訓練されなければならない。


非民主性をなくすために


経済社会の民主化は、別の記事でも触れたけれども、最低限の生活保障と個々の生活の選択の自由が実現されるべきだと思う。小さなコミュニティーは軍隊の撤廃についても、効果を発揮するはずです。国外からの防衛だけでなく、軍隊は国内の自国民を多く殺しているという事実を知っているでしょうか。ある研究ではここ100年間で軍隊によって殺された人の数は、2億人に登るのだそうだ。そのうち、1.3億は自国民なのだそうです。軍隊は自国の治安のためにも人を多く殺しています。万人が闘争しあう混沌とした世界よりも、中央政府に「正当な暴力」である軍隊をもたせ統治してもらったほうが、相対的には治安はよくなることは事実でしょう。でも、国に軍隊を持たせることが最善の方法だということでは決してないはず。人は集団化すれば力も強大になる。逆に、集団が小さくなればなるほど暴力は最小限に抑えられ、庶民の個々のもつ力が強くなる。家族会議にロケットランチャーを使うことは馬鹿げてますもんね。このようにコミュニティーのバランスがとれたとき軍隊はおのずと不要になってくるのではないでしょうか。

<おしまい>

>>お題目へ戻る



PR

Category: | Date:2009/11/06


忍者ブログ [PR]