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未来のカタチ・・・(環境)

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環境について久しぶりに書きます。
環境カテゴリーをまとめるだけになっちゃいますけども。
いいかげん、このシリーズも終りにしないといけませんもの。


循環を促すための科学

地球という惑星は真空空間にぽっかり浮かんでいて、太陽エネルギーや重力の影響などの例外はありますが、主だった活動は地球内でほぼ閉じているといえる。むかし○○保存の法則なんて習いましたけど、エネルギーや物質というのは基本的にはいきなり現れたり消えたりもしない。地上で何者かが活動し資源やエネルギーを消費し続ければ結果として廃物なり廃エネルギーなりが出続けることになる。それでも地球に特定の廃棄物が蓄積されていかないのは、この閉じた環境の中で地球は実に壮大な循環機能を持っているから。この循環機能によって地球は絶妙なバランスを保ち続けている。川海や大気などの自然だけではなく、森林や哺乳類からバクテリアを含む全ての生態系が重要な役割を果たしている。地球は大地の自然と、そこに生活する全ての生態系を含めてひとつの大きな生命体といえる。人間もこの循環システムの一部として"生きる地球"に貢献している。ただ、この地球の浄化能力を超過した消費活動が行われたときに地球の循環システムが破綻し生態系に大きな影響を与える。これがいわゆる環境問題です。

だから、環境問題を解決するためにはこの循環システムのバランスをとるように人間の消費を抑えるか、または消費を維持・拡大するにしても、その営み自体をこの循環システムに上手に適応させていけばよい。ただ、消費をいきなり抑えるというのは、恐らく難しい。。。とすると、後者の地球の循環システムに上手に適応させていくのが当面、僕らが目指していかなければ行けない道だと僕は思う。

部分的視点から持続可能性への転換

すると単にCO2を何%カットするだとか、エコ製品を使うようにするだとか、リサイクルするだとかいう活動は、(もちろん意味のある活動ではあるだろうけれども)短絡的な解決策でしかないようにも思える。そもそもこういう○○が増えてるから減らそうだとかいう部分的な視点では、いったいどれほど地球に”やさしい”のか疑問がのこる。

西洋科学っていうのは、大きな問題を細分化して小さな「部分」として解決し続けて行くことで全体の問題を乗り切ろうと言う傾向が強い。それはそれで素晴らしい発想なのだけれど、あまりに部分的な思考が強烈すぎると往々にして全体を置き去りにしてしまいがちだ。例えば、蒸気機関に変わる動力としてより強力な機械が必要になったら、この問題を解決するために石油を利用してエンジンを発明する。ところが、石油を消費した時の汚染物質の処理は、別の問題。別の「部分」として扱う。石油の枯渇問題についても、また別の「部分」として扱う。より強力なエネルギーが必要となったから、今度は核エネルギーを利用して原子力発電を発明する。それによって将来起こるであろう核廃棄物の処理問題は、また別の「部分」として扱われる。しかし、こういった全ての活動というのは、地球上の循環システムの中で「全体」として扱われなければならない。これを怠ると、一方通行になりがちな解決策の中で全体が見えずに持続の輪を破壊しかねない。100年、1,000年、10,000年という単位で、地球環境は維持されなくてはいけないのだから。それができないのであれば、それらの技術研究そのものが未完であり、焦って利用すべきではない。環境問題の重要なキーワードは、「持続可能性」ということになる。


部分的視点で未完の技術の補完が必要

この持続可能性という観点から「未完」のまま利用している技術の追加研究や、代替資源の研究などが行われることが重要じゃないかな。そっちにもっと投資しないといけないんじゃないかしら。。。CO2の削減だとかリサイクルだとか言うのは程度の話しで、問題の先延ばしにはなっても直接の解決を模索してはいない。この辺りの新しい研究について僕の知っている限りだと、グンター・パウリさんというかたが、生成科学という分野を設立して循環系を完結させるための科学的研究を積極的に行っている。是非、一読頂きたい。

地球環境とグローバル経済

環境問題は、科学や工業の問題だけじゃない。政治的、経済的な側面も強くある。例えば、食糧問題。近い将来、僕らの食料は足りなくなると言われている。緑地が減っているとか森林伐採が進んでいるとかいう問題だけではない。人口増加に加えて、中国やインドなどの中産階級の数が増えることで肉食が増えたり(食肉の生産には大量の穀物が必要になる)、ビールなどの嗜好品が多く必要になる(中国人が平均して1杯/日ビールを飲むだけで世界中の小麦の生産量のほとんどが消費されてしまう量に匹敵する)。

こういった中でも、世界の国々はお互いに力を合わせてグローバルに対応していこう!という方向には残念ながら向かってはいない。今さかんに言われているグローバル化って、結局は、国籍の柵に国民だけが縛られ、モノやお金だけが力のある国に流出していく。うがった見方をすれば(経済)グローバル化というのは貧富の差を拡大する仕組みでしかない。飢餓は未だになくならないどころか、食料廃棄物を経済的理由から他国に分配することすらできない世界なのだ。結果的に、先進諸国からの現金収入を得るために生活農地を削り利益率の高い植物を植える。大規模化して力の弱い庶民は農地を取り上げられ、先進国の嗜好品を作るために自分たちの食料を犠牲にしている。こういった世界中の問題を(経済)グローバル化の中で解決することができず、むしろ自国の利益を手厚く保護することで問題を更に深刻化している。

さて、こうしたなかで僕たちができることはなんだろう。。。なんて考える。


地域社会に根付いた自立システム

僕らはもっと地域単位で自立しなければいけない。食料だけをとってみても今日本の食料自給率というのは40%程度しかない。その他の食料は他国に頼っている。日本は技術立国すればよくて、技術を売る代わりに他国から資源や食料などを輸入すればいいのだと主張する人もいるけれど、今のような経済グローバル化の時代に利益を目的とした活動を行う以上、Win-Winのフェアな関係など成り立ちにくいだろう。残念ながら現在の地球上ではまだ国同士が対等に取引できる立場にすらない。国境と言う実在しない線に翻弄され、お隣りの火事を見ないフリをするのはなんと馬鹿げた話しだろう。本当の意味での「真のグローバル化」が実現するなら、本来他国であろうが自国であろうが技術を教えるのに出し渋る必要などない。地球上で起こっているあらゆる問題を放置しておける理由もないはずだ。世界は区別なく、より良い技術をシャアし合えばいいのだから。

すべての庶民が他国にも自国にも依存せず、自らが自立できたら真のグローバル化はより実現しやすくなるだろう。だからこそ、まずは先進諸国が後進国に頼らず自立することが僕ら裕福な地域の住民の責任じゃないかと思う。この自立こそがほんとの国力を生む。第一次産業すら他国にたよらず、100%の自給を目指す。日本のように資源も農地もない国はどうすればいいのだろう。いずれにしても、キーワードは「分散化」じゃないかと思っている。農地にしろエネルギー問題にしろ、自然エネルギーなどいわゆるローテクを使った小規模なエネルギーを拡散して全体にもたらすような仕組みを考えてもいい。資源についてはどうだろう。。。例えば石油にかわる燃料の研究開発はホントに不可能なのだろうか、コスト的に難しいだけなのか。ビニールに代わる素材はどうだろう。。。鉄に代わる素材はどうだろう。僕は科学者ではないのでよくわからない。。。けれど、今こそ世界で人を殺すための研究に費やされている天才の頭脳と200兆円もの巨額の軍事資金を人を生かすための未来の生活スタイルの確立にこそ使おうじゃないか。技術は他者への依存のための切り札として使われるのではなく、各地域の自立のために費やされるべきだ。

先進国が後進国を牽引している、かのような錯覚をしているかもしれない。けれど、今や、先進国と後進国という関係性はこの偏った世界になくてはならない「要素」なのだ。これらの要素を生み出した責任は僕ら先進諸国にある。この関係性は未来に残してはいけないと強く思う。


まとめ

第一に、地球の環境を未来の子供達に持続させるために、未完の循環の輪を完成させる科学的研究がもっと進められないといけない。その為に、我々が節約し窮窮とした生活を送らないと行けないということでは必ずしもないと思う。大切なのは、地球の循環系にあった生活スタイルを見つけること。次に、科学だけの問題ではなく、僕ら自身がより地域に根付いた生活をし個々人が自国からも他国からも自立した存在にならないといけない。そうすることで、より世界は一人一人に開放され、より開かれた住みよい場所になるのじゃないかと思う。

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Category: | Date:2010/03/05


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