発展と成長
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「発展」っていうのは「成長」・・・だろうか?
僕の好きなモノ書きのダグラス・ラミス氏からの問いかけだ。
物覚えが悪いので、実際に使われていた言葉は違うかもしれない。
社会の発展は産業化され経済発展することだけではないはずだ
コンビニもないし、道路も舗装されていない未発展の文明があって
そこに技術を持ち込んで産業化して経済発展を促す。
これを、僕らは社会の当然の成長過程だと思ってきました。
おそらく、ほとんどの人は今もそう考えていと思います・・・
歴史とともに、地球は産業化され経済発展を続けて行くもの・・・
でも、ほんとにそうなのだろうか?
地球の歴史の中には、モノを多く持たず産業を持たず
それでも日々生活できるだけの農耕文化と生活を楽しむに
充分な高度な工芸技術をもった文明は数多くあった。
実に平和的であり、高い精神性をもっていた文化が過去にもあったと言われている。
初めて西洋人がそれらの文明に触れたとき、誰かはそこをユートピアと呼んだ。
発展って・・・なんだろう。
大雑把に言えば、欧米の経済制度に入っていない国は全て未発展・発展途上国と呼ぶ。
各々の文明が何を持っているか?によって発展段階を推し量るのではなく、
欧米の経済制度の欠如・・・ただそれだけの基準で全ての国は未発展と分類されている。
僕らの社会は高度に経済発展しているが、暴力的であり自殺者が絶えず
持たざる者へ分け与える高い精神性も持ち合わせていない。
果たして高度に成長している・・・と言えるのだろうか。
再び
経済発展 = 成長・・・なのだろうか?
経済発展はスラムをなくすのか
誤解がないように、経済発展を否定しているわけではないのです。
確かに、高度に経済発展し整備された僕らの国では3分歩けばコンビニがあるし、
蛇口をひねればキレイな飲水が24hrいつでも流れてくる。
これを社会の成長と言わなかったらなんであろう!!!
経済発展が僕らの生活をより豊かにしたことは間違いない。
これが地球上の全ての国に行き渡るのであれば、人類の大きな一歩と言える。
しかし、経済発展とは「スラムの世界『を』高層ビルの立ち並ぶ世界」へと、
少しずつ変容させていく、または変容させてきた過程なのだ!という理解は正確ではない。
ここは間違ってはいけない。
地球上のあらゆる文明はそれぞれに何かをもっていてそれぞれの成長過程にあったのだ。
これを欧米のルールにのっけて、
それぞれの成長過程にあった世界を 「スラム『と』高層ビルの世界」に変容させたのが、
これまでの経済発展の歴史認識ではないだろうか。
これは、過去に植民地主義と呼ばれたり、帝国主義と呼ばれたり、
今はグローバリゼーションって呼ばれている。
裕福さとは貧困との関係性から生まれる
経済発展による「裕福さ」とは貧困層がいなければ成り立たない関係性の問題なのだ。
経済発展はしていないけれども、それぞれに満たされていた国の人たちを
経済発展の波に取り込み貧困層に仕立て上げて言ったのが、
これまでの僕らの発展の過程なんです。
だからこそ、貧困は国内でも国外でもなくならない。
発展を継続させるために、この連鎖も止められないのだ。
果たしてこのような経済発展は、社会の成長過程と言えるかな…。
なんだか、頭を抱えてしまう…。
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Category:社会 |
Date:2010/02/17