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経済とモラル

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最近、理不尽なこというやつ多いよなぁ。。。飲み会の席で聞こえてきそうな言葉だけど。。。なんか、特に大人になって社会人になればなるほど、人間性ってどんどん失われていくような気がする。社会人ってなんなんでしょうね。人情とか、道徳では仕事はできんぞ!なんて、怒られる毎日ですが、ほんとにそうなんだろうか。他に疑問をもつ社会人はおらんのやろか。なんかそんな日ごろの疑問の答えを先人の知恵に求めようとするうちに、なんとなく記事になってきたので乗っけてみようと思う。

渋沢栄一に習うビジネスとモラル

日本で「商い事」と「モラル」の関係を語るにはまず文明開化の時代にさかのぼる必要があるようだ。調べてみた限り、恐らく日本の商業に初めてモラルを取り入れたのは明治時代の実業家、渋沢栄一ではないかと思う。あんまり聞いたことのない名前かもしれませんが、近代日本経済の父と言われている偉大な実業家だ。日本初の銀行となる第一国立銀行(現みずほ銀行)の設立に携わり(これは日本で初めての株式会社でもある)、この銀行を拠点に日本に株式会社を根付かせることに尽力した。東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙、秩父セメント、帝国ホテルなど、携わった企業の数は500社を超える。これら企業銘柄をみるだけでも今日の日本経済の礎を気づいたその人であることが伺える。商人はそろばんをはじければよいという時代に、学問と実用とは一致しなければならないと訴え、商業に初めて「論語」を取り入れた。これが日本での商業活動に道徳が交わった初めての試みであったと思われる。道徳経済合一主義を唱え、仁義道徳と生産殖利とは元来ともに進むべきものと説いている。経済は道徳によって発展し、人道は経済によって広がり得られるものである。近年ではビジネスから人間性を排し、客観性が効率を生み健全な利益追求につながると考えている人は多い。ただ、健全な利益追求ってなんだろう?商売とは本来世の中を豊かにするものでなくてはならない。利益を追求し続けることで財産を独り占めできたとしても、社会全体が貧困であればその人の幸福も保証されることがない。財産を追求することのみが目的であるなら、際限のない欲望に駆り立てられるだけで幸福を得られるものではない。単純な利益の追求は何者をも満たすことのない無意義なことなのである。良識ある社会人がよく働きよく富を散じ世の中の益を図るのが望ましいのである。渋沢氏は株式会社の浸透に尽力したわけだが、みんなで責任を分担する。そうして得た利益をみんなで分担する。それでこそ仕事に励みがでるのだと語る。これは単に得た利益を社会に還元することでお金の廻りを活性化させようという狙いだけのものではなく、経済とはこのような「道理」によって発展するという彼の強い経営哲学から来ている。実際に、企業の設立以上に社会活動に意欲的で、携わった公共・社会事業は600を超えると言われている。以後、日本は世界でも類のない奇跡的な発展をとげ、欧米が350年かけて築いた近代文明に開国後わずか40年で追いつくことになる。現在、企業経営の神様と謳われている企業経営学者でP.F.ドラッカーという方がいますが、彼の言葉を借りれば、近代国家日本を創った3人の重要人物のうちの1人がこの渋沢栄一である。彼の選んだ3人のうち残りは福沢諭吉、そしてもう1人は三菱財閥の基礎を築いた岩崎弥太郎である。このことからも中立な立場をとるなら、明治の奇跡的な躍進が道徳を重んじる経済から「のみ」もたらされたものだとは言い切れない。ただ、岩崎氏のように個人や御家の利益を純粋に追求するという利益追求型の経済と平行して、道徳や倫理を重んじることで日本経済を躍進させた渋沢氏のような道徳経済が存在したことは確かなようである。

松下幸之助にみる人間学

こういった道徳経済は、利益追求型の経済と均衡を保ちながらも恐らく90年代の半ばあたりまでは広く存在していたのではないかと思う。90年代を代表する経営者で顧客第一主義というと、まず初めに思い浮かぶのが松下幸之助(松下電器のカリスマ的創業者)ですね。「道行く人はみなお客様、お客様は神様だ。」という言葉に代表されるように昭和初期から一貫して顧客満足に徹しCS(Customer Satisfaction)経営に取り組んできた人物である。彼のいう顧客満足とは単に個人の利益を追求した自己勝手で人間を無視したものではない。彼の言う顧客主義とは、一言で言えば自分の生産する商品にたいする愛情からきている。よりよい製品を生産し世の中に送り出す。買ってくれるお客様は、自分のかわいい娘の嫁ぎ先のようなものだ。このようなお客様には常に感謝の気持ちを忘れてはいけない。最近、顧客主義というと顧客にただ忠実となり、生産者の利益や哲学を曲げてでも顧客のわがままをどこまでも聞き遂げることだというように解釈されることも多い。彼が心がけていた顧客主義とは、単なる顧客の聞き役ではない。よりよい愛すべき商品を提供するためにより顧客に耳を傾けるのだ。生産者としての責任をどこまでも追求する姿勢をとる。また、感謝と愛情を持ってよりよい製品を世の中に送り届けるということの根底には、経済とは元々共同体を豊かにするためにあるのだ、という彼の経営哲学がある。一般に企業の目的というのは利益の追求にあると考えられがちだが、根本は事業を通じて共同体の向上を図るところにある。その使命をよりよく遂行する上で初めて利益というものが重要になってくる、そこを取り間違えてはならないのだ、という。この点については先の渋沢栄一と同様の見解を持っていたと思われる。彼の事業経営において一番重要視されるのは「正しい」経営理念を持つことである。「正しい」とは、彼の言葉を借りれば人生観、社会観、世界観に深く通じていて、人知を超えた大きな天地自然の理に従ったものでなくてはならない、と言うことだ。決して単なる利益追求がその最終目的ではない。具体的な話をすれば、彼の経営理念は主として共存共栄、自主経営という2つのキーワードからなるといっていいだろう。まず共存共栄の意味するところは、企業というのはそれが個人企業であろうとも、本質的には公事である。私事の都合で判断してはならず、常に共同体にとってプラスの影響を及ぼすのかマイナスとなるかという観点からものの判断を下さなければならない。同じ業界においてでも同様で、1人勝ちということはありえない。世の中の発展を目的とするならば1つの企業が1人勝ちしたところで共同体としての発展はない。適正な競争はおこないつつも常に業界として共に発展することを念頭に置かねばならない。また、自主経営とは、経営のあらゆる面にわたって基本は自力を中心としてゆくことである。自力の姿勢を維持した上で必要な他力を活用してこそ生きてくるというものだ。ただただ仕事を横流しにするだけの他力経営じゃいかんということです。また、自分の適性を判断し出来る範囲で自力で取り組みなさいということでもある。言い換えれば無理をしない、ということ。自分の出来る範囲で以上でも以下でもなく100%の努力をすることが生産者としての責任なのだということではないでしょうか。彼の言う経済活動というのは、単純な利益の追求ではなく、そこには人をより豊かにするための人間学が根付いている。

ビジネスライクなアプローチは効率と合理性をもたらすか

近年では極力、ビジネスから人間性を排除するような動きが見られるように思う。ただ今回のリサーチで道徳や人間性の必要性というのは、近代日本の出発点から既に偉大な経営者によって説かれていたんじゃないかと感じることができた。利益追求型の経済と道徳的な経済というのは対立しながらもそのバランスを取りながら、いつの時代にも存在していたのではないか。最近になって特にこの道徳的な経済というものが衰退しバランスが崩れてきているのかもしれない。そろそろ僕らも同じ共同体のなかで、互いに共栄していくことを念頭に置かなくてはならないのではないだろうか。自分のもつ物差しの基準を少し広げるだけで、ビジネスのやり方も大きく変わってくるんじゃないか。松下氏の言うように、適正な競争は行いつつも世の中の利というものを念頭に置かなくちゃいけない。今、目先の利益を生むことよりも、十年後、百年後の発展を生むためには共同体や業界そのものの繁栄無しには成しえないはずだ。近年、理不尽な要求を強要する社会人の多くは、目先の利を得ることに躍起になりそれに満足しているに過ぎない。業界や共同体全体、むしろ自分自身にすら不利益をもたらしながら、ほんの一時の儚い自己満足から抜け出すことができないでいる。業務の効率化を行い、無駄の根絶を徹底にもかかわらず、仕事量が一向に減らず、給料が上がらず、景気が低迷している背景には、理不尽な「人間性の非効率」が存在するのではないか。本当に必要なことは業務体系の効率化以上に、人としての常識的な判断力ではないのだろうか。顧客であろうと製品やサービスの提供者であろうと、共同体のなかで共存しているという意識を持つべきなんじゃなかろうか。利益追求、効率化を図るためある程度人間性は排除されなければならないかもしれない。ただ、その根底で人間としての共同体のあり方を無視するあまり、結果的に世の中に非常に非効率な反動を与えているように思えてならない。

経済って

そもそも、経済って何のために生まれたんでしょうね。こんな時代であるからこそ、経済活動と人間性とは結びつかないように感じますけど。調べて見ると元々経済とは「経世済民」という言葉から来ているのだそうだ。これは世の中を治め民を救済するということなのだそうだ。ちなみに英語のEconomyという言葉もギリシャ語の「オイコス」(共同体・家)といった言葉が語源となっている。共同体や世の中のあり方を追い求めるといった意味から来ているのだそうだ。つまり、経済の本来の成り立ちとは、世の中や人間の暮らす共同体はどのようにあるべきかということを追求するところから生まれている。諸々の経済活動の中で利益を追求する部分をビジネスと呼んでるんだと思っているのですが、根本的に何のための利益追求なの?ってところを見失っちゃってるんじゃないでしょうか。共同体の中で暮らす個人がいかに安泰な生活を送ることができるか。共同体に暮らす全ての人間が同様に幸福で安定した生活が送れるような世の中を実現したい。その意味でも、経済と道徳というものは本来一致するはずなのではないでしょうか。


参考

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
深沢賢治の世界
知行合一から生まれた明治維新
福沢諭吉について
座右の銘を教えてください
渋沢栄一の言葉
岩崎弥太郎について
実践経営哲学
中国古典と松下幸之助
松下幸之助の人間観、自然・宇宙観と経営理念(PDF)

こういう情報が、さらっと手に入っちゃうんだから、使い方によっちゃインターネットってやっぱりすごいよなぁ。



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Category: | Date:2007/05/17


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