JUDGE
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最近話題の裁判について考える。。。
昔っから、そもそも人が人を裁くということに疑問を抱いている。
みんなに聞いて見たいのだけど裁判って、
罪人を裁くためにあるの?
それとも
人を更生させるためにあるの?
これをどうとらえているかで、裁判の意味って全然かわってくる。
犯人だって人間だ。彼らは何故生きてんだろ。
動機に起因する合縁奇縁があったのかな。。。
そこで得た教訓はなんだったんだろ。
これらは、残念ながらあまり問題にされない。。。
長い歴史の習慣に、人が人に裁かれることが当然だって感覚に麻痺してしまう
「罪をつぐなうために死刑になればいい」なんて当たり前のように語られてるけど
人としてあまり誉められた言動じゃないよね?
過去、現在、そして未来。。。
過去に起こってしまったことは、起こってしまったこと。
それを僕らがどうこうすることはもうできない。
こんな当たり前のことがやっぱりまだわからない。
既に起こってしまったことをこれから起こる未来のために
どう活かせるかを考えることこそ必要なことなんだ。
各人に確固たる生きる意味を与えられない社会ならば。。。
僕らは、自分なりの生きる意味を探してかなきゃならない。
罪人を裁くことは、せめて、被害者にとっての心の慰めにはなるかもしれない。。
でも、これが被害者の人生にとって同様に乗り越えなければならない試練だとしたら
判決を聞いて全ての責任を転嫁できてしまうだけの裁判では
人生の醍醐味は見事に失われることだろう。
この生で与えられた全ての出来事をありのまま受け入れる。
それが殺人であろうと、人助けであろうと、起こった事象をありのまま受け入れる。
その中で得られたあらゆる経験こそが光明なんだ。
犯罪という大きな困難を受け入れ
試練を乗り越えようとしている被害者と加害者の意思を共に祝福しよう。
彼らの共存と、共に生きる道を照らそうじゃない。
裁判は、そこから得られる教訓を促し人を幸せにするためにあるべきじゃないかな。
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Category:社会 |
Date:2008/12/08