未来のカタチ・・・(国家)
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小学生に聞いた「世界からなくなってほしいもの」
ついこないだTVで、「世界から一番なくなって欲しいものは?」という小学生に対するアンケートを行っていた。回答として一番多かったのが「戦争」、次が「たばこ」、3番目が「金」だったんだそうだ。なんだか、敏感に世の中を見つめてんだなーなんて、びっくり!と同時にちょっと悲しくもあり。。。複雑な気持ちになっちゃった。。。みんなが「自国の利益」のためにって言ってる以上、争いごとってなくならないのかな?戦争と利害・・・。それに、既得権者のしがらみに、わかっていながらもなくせない「たばこ」。なんだか色々なものを象徴した回答といえなくもない。。。
分断と自立 - 利害のきれないつながり
ひとつの人類を分かつ権利・権力。。。政治、宗教、派閥、企業、、、僕らは色んなグループに所属することでそれが幸せを生むと信じながら争いを続けている。グループ化し分断することで僕らは本当に安心を得ているのだろうか?確かに、自分と異なるものや危険なものから距離を置くことはある種の安全や安心を生むのは事実だろう。かつて江戸時代に日本の出島にやってきたケンベルは、長い間日本に侵略戦争がなかったのは鎖国のおかげだと鎖国政策を讃えたらしい。彼は同時に日本は自給自足の国だから外国のものはいらないのだ。。。と言っている部分が僕には少し気になった。つまり日本は外国との関係を持たずとも高度に文明化できた自立した一つの島国だったものと思われる。何が言いたいかというと、現在世の中にある様々ないざこざを続けるグループや国というのは、それ単体で自立しておらず、どこか利害関係を残しながら繋がり続けているのだ。分断というのは、つまり利害依存を顕著化する一つのプロセスにすぎない。
甚大な影響力によるいやがおうないつながり
数十世紀もの長い間、各々の「国」の中で独自の価値観を育みながら生活してきた。国だって人間の創造物だってこと忘れちゃうくらい長い間。人の生活規模が今より極小だった数世紀前まではそれでよかったかもしれない。ところが、人の及ぼす力が甚大になった今。。。抱える問題は国境をまたぎ、解決策もまた地球規模でなきゃならなくなってきた。自分の「国」の足元だけで解決できる問題には限りがある。僕らはまた同じようにここの国で自立しているようで、甚大な影響力のもとにいやがおうない力でつながりを無視することができずにいる。
"つながり"に目を背ける人
結局僕らはグループ化し、分断化した国家の中で暮らしながらも、各々に自立できずに依存し合いながら存在していることをしばしば忘れてしまう。このつながりから目を背け、自分たちが自立した存在だと錯覚する。自国の利益を第一に追い求めてしまう現状に「国際協力」など特別な意味は持たない。この原因はどこにあるのかを考えたとき、扉の向こう側にある国家や社会のあるべき姿が見えてくるのじゃないだろうか。
解けるはずの解けない問題
未だ解決できない単純な問題に、先進国で飽和する食料と、なくならない途上国の餓死者の問題がある。農林水産省の調査(2006年度)では、日本での食品廃棄物量は年間1100万tを超えるのだそうだ。これに家庭ごみを含めて金額換算すると11兆円に上るなんて調査もある(http://diamond.jp/series/top_answer/10005/)。これだけの食料廃棄物を抱える一方、他の国々では毎年数百万人という人が飢餓で亡くなっている。WFP(世界食糧計画)によると、飢餓に苦しむ人への食糧支援は1人当たり7,200 円/年。たった一国のゴミが15億人ほどを救える量だということになる。だから日本人は食料を無駄にしすぎだ!なんて、見当違いなことを言うつもりはない。額面上の単なる理論値かもしれない。でも、そのくらい世の中の常識には偏りがあるんだということを知る指標にはなるのじゃないでしょうか。。。
解けるはずの解けない問題2
世の中には価格高騰を招くから・・・という理由だけで投棄される食料もある。それなら捨てるためだけにある食料を分け与えてもいい。でも、それもできないんだよね。。。先進国の嗜好品のために途上国の農地が削られている現実もある。他国内の問題に対する責任がどこか蚊帳の外なのはどうしてだろう?他国より先に自国の問題だろう・・・って僕自身もどっかそう感じているところがあるしね^^;先進国の巨大な肉食を支えるためにほとんどの穀物が家畜に消費されてしまっている実情もある。人が人を救えない理由が「国が違うから」・・・ということ意外にあるだろうか?もし、日本人がアフリカで餓死しそうになっていると知ったら僕はどう感じるのだろう?親戚だったらなおさら実費で食料を送ったかも知れないな・・・なんて思う;;国家社会とそこに住む僕らは、こんな問題すら自国の壁を保つためだけに解決を渋っている。僕らはこの馬鹿げた仕組みのために、きっと未来の子孫に非難を浴びるに違いない。
自国は自立した国家!?
それでもなお、国に帰属することが幸せを生むと妄信し続けている。というより自国は自立した国家だという幻想からぬけだせないのだ。そのつながりを無視しながら自国の利益を追求することで世界はバランスを欠いている。こういう考え方は我々の生活習慣に染みこんでしまっている。サッカーのゲームで韓国に負けるとなんだか悔しいし。なぜかテポドンが日本でなく他国を狙ってると聞くと不謹慎にも安堵してしまったりね。日本と聞くと危機管理のセンサーが働いて、他国と聞くとま、いっか。。。みたいな。もう、どっか条件反射みたく反応している自分がいる。
自立と協力
これだけ多くの人間が暮らす地球上で、なにものもグループ化されずに統一した世界がつくれるとは僕は思わない。でも、大切なのは自立と協力だと思うのです。各々に自立し自給自足した組み分けを意識する必要がある。自立と分断は全く違うものだが表面上はとても似ている。僕らは、つながっているものをそれと意識せずに分断された国家を「自立だ」と錯覚しているようなところがある。分断された国家では、つながりの中で自国の利益を尊重するからそこには常に競争があるし、解決の優先順位にも無意味な利害が割り込む余地が多い。ほんとうの国際協力は自立した国家からしか生まれないのではないだろうか。
より大きな問題は過去を捨てきれないわたしたち
いくつもの重大な国際問題はすぐにも解決できる。問題があるのは、むしろ僕のような過去の人間が作り出した理念そのものなのかもしれない。国家の枠組みを解消するためには、そこに住む一人一人の意識の変革が必要になってくる。仕組みを変えることよりもそれに染まってしまってる自分自身を変革するほうがよほど大変なのかもしれない。それにはきっと僕らが日々生活する生活環境がとっても重要になってくるし、一人一人に縛りついた鎖を一つ一つ丁寧に紐解いていく作業が必要だ。完全に解き放たれた人間がいない中で、より広い見識をもった有識者、科学者、幅広い経験をもった高齢者などの力がよりいっそう必要になる。徐々に僕らの凝り固まった理念は分離され、いつしか未来の子孫が完全にその意識から古い概念を取り払われたとき、国家という単位が溶け合い純粋に人類が共存しあう1つの世界が生まれるのではないかと期待している。
「問題を引き起こしたマインドセットのままで、同じ問題を解決することはできない。」
(アインシュタイン)
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Category:社会 |
Date:2009/06/05