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ゼロ・エミッション(2)(グンター・パウリ)

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(やっと続きを書きました。)僕たちは自然界から新たなアプローチを学ぶ必要があります。自然って太古の昔から脈々と「生き続ける」生命維持プロセスの巨大な化け物です。全てのものが刻々と変化し常に流動的なこの世界では、あるものを永遠に「持続」させることは困難を極める。この地球上に「生成」された全ての生命や物質はいつかは必ず衰退し「消滅」する。しかし、いったん大いなる自然のプロセスに目を向けると、この生成と消滅のプロセスが脈々と受け継がれていることがわかる。ある生物の消滅は、別の生物や物質の生成を生む。むしろ、この視点でみれば自然界の中には消滅など存在しないと表現したほうがよいかもしれない。地球という生態系が作り出す循環の大いなる輪の中で、全てのものは常に「生成し続けて」いる。この生成し続けるプロセスこそ地球が一つの生命体として太古の昔から生き続けてきたもっとも偉大な神秘なのです。

持続可能性

この有限な世界の中で、物事をどれだけ永続的に維持し続けることができるのか?これが今後21世紀の僕らの大きなテーマになることは恐らく間違いないでしょう?「持続可能性」---この永続性についての価値がもっと声高に叫ばれるようになる。先日のブログにも書きましたが(Z.e.R.O: ゼロエミッション(1))、現代社会では、あまりに急速な変化を求めるため、非常に近視眼的な視点でもって多くの生産活動が行われています。持続可能性を測るとき一番手っ取り早いのは、ある戦略を50年なり100年のスパンで実施したときどのような影響があるのかを考えてみればよい。1年後の利益を倍増するために、50年後の地球資源を食いつぶしてみたり。3年間の食糧問題を解決するために薬品を使用することで人間の体を永続的に病魔に苦しめてみたり。1世代のスパンでは気づかないかもしれない微妙な蓄積が積もり積もって数世代後の後世にどれだけの影響を及ぼすことになるのか。これら現代社会の多くの戦略は、持続可能性という視点で見たとき必ずしも好意的な結果をもたらさないことがわかるだろう。多くが信じる絶大なる科学技術をもってしても人類は今緩やかな自滅の道をたどっている。そうです!問題は科学技術そのものではなく、それを使うプロセスや自然に対するアプローチなのだということにそろそろ気づくべきだ。

従来型の線型モデル

従来型の線型モデル 拡大

これまでの産業(だけじゃないと思いますが)は、ある「1つの目的」に対して結果を追求する一方通行の「線型モデル」を採用してきました。このため例えば、環境にやさしい天然のヤシ油洗剤を製造するために、プランテーションにより大量にヤシの木を栽培する。そのうち洗剤の製造に必要な要素(ほんの5%程度)のみを抽出し、残りの大部分のバイオマスは他に使用用途もなく廃棄されている。このようなアプローチで作られた製品は環境によいといえるのだろうか?

現在の環境問題のアプローチにしても同じことがいえる。左端の口からは極力インプットを抑える。右端のアウトプットの口では製品への変換率を高め、出てくる廃棄物を極力減らす。こうして資源の削減と有効活用を促すアプローチがほとんどである。しかし、いくら資源を有効活用しても、1つのプロダクトを作り出すための1プロセスばかりをみている(線型のモデル)では、廃棄物を減らすことはできても根絶することはまずできまい。1つのプロダクトに必要な資源はおのずと限られてしまうのだから。この場合、ヤシ油洗剤のみを製造することが目的とされる以上、同時に大量に発生するバイオマスは常に廃棄物でしかない。

ゼロエミッション

ゼロエミッションモデル 拡大

1プロセスの中での廃棄物の削減や生産性の向上に限界が見えたとき、そこにはあらたなアプローチへの可能性が広がっている。大量に廃棄されるバイオマスは、新たにその利用用途に価値が見出されさえすれば第3世界にとっても大きな利益を生み出す可能性を秘めている。自然界からその解決策を学ぶなら1つのプロセスを必要に応じて多様化し廃棄物を別の生成プロセスの一環として扱えばよい。ただ、もちろんこれには丹念な研究と綿密な計画が必要ですが。。。例えば近年あまり見なくなったサイザル麻。丈夫な繊維を持つがそのコストゆえに合成繊維にその座を奪われている。しかし、このサイザル麻には別の用途もある。クエン酸と乳酸(繊維の10倍の価値がある)の発酵用の土台となれることがわかっている。この可能性から追加収入が生まれれば、丈夫で質の良いサイザル麻が合成繊維に対して競争力を取り戻すことも決して不可能ではない。また、先ほどのヤシ油洗剤の製造プロセスによって生じた大量のバイオマスを使ってキノコの栽培を行うこともできる。キノコは現在のところ分解の難しい植物繊維を炭水化物に変換できる唯一の種である。加えて収穫に要する期間が8日~10日と非常に短い。これからの食料不足に大きく貢献するであろうことが予想される。世界には食べられるのに市場に出回ってないキノコはまだまだ数知れない。恐らくこれからもっとバリエーションにとんだキノコのが市場にでまわるようになる。僕はキノコが新たな食の革命を起こすと密かに予想している。更に、キノコの育成に使い古された苗床からはミミズの養殖が行われるかもしれない。ミミズは肥沃な土地をつくるだけでなく、植物性たんぱく質を効率よく動物性たんぱく質に変換してくれる。養鶏などの餌としても非常に効率のよりエネルギー源にもなる。このように自然の生成プロセスを丹念に研究し、それらを効率よく組み合わせ構造化することで、多くの場合ほとんどコストもかからず、新たな資源も必要とせずに、様々な製品を生産することが可能になる。これらの巧みな組み合わせと綿密な構造により、廃棄物はたちまち資源となり、これまで重宝されてきたが時として環境に有害な科学繊維や科学素材にたよらずとも充分な生産性を維持することができる。産業を多様化し必要に応じたプロセスを構造化することで環境問題の解決だけでなく、雇用の創出や増益が見込める可能性がある。(こちらも参考に Z.e.R.O:環境のいま

あらゆるアプローチへの挑戦

これまで現代社会は思いつく様々な方法で技術を磨き発展してきました。ところが、革新的な科学技術ですら、古い慣習の使い古された線型のアプローチから生まれているということを理解する必要がある。コストの削減、雇用の削減、削減に次ぐ削減により極限までスリム化をはかる現代の社会構造もそう。この線型のアプローチにはいつか生産性の限界がやってくる。少なくとも、今ですら「持続可能性」という視点で物事を推し量るとき、1部分の短期的な成功は決して永続的な繁栄を保障してはくれないことがわかってきた。これらの構造的問題を解決するために、自然界の持続性に学ぶのなら、幾つかの生産プロセスを計画的に結びあい、無駄をなくすのではなく多様性の中に新たな解決策を探り出せばよい。この輪にうまく適合できないものはたとえどんなに短期的には大きな富をもたらしたとしても、より大きな視点では人類に利益とはならない。例えば、様々な問題を未来に先送りにしている原子力発電とかね。どんな問題もこの多様性のつながりのなかによりよい解決策が見出せるはず。より永続的でエコロジーなアプローチがあることを学ばなければならない。ただし、これには多くの研究やあらたな科学技術がこれからもっと求められるでしょう。物事の成り立ちと生成を追求する「生成科学」。同時に、単に新しい技術を求めることだけではなく、自然界に学ぶ新しいアプローチそのものが大切なのだと思います。今の問題を未来に先送るのではなく、次の世代につながる知恵とは何なのか問いかけてみたいと思います。

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Category: | Date:2006/12/02


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