ツイッタ
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しばらくツイッターをやり始めてみている。
このゆるい結びつきの中で人との和が広がっていく様が小気味良い。
140文字の小さなつぶやきが、いろんなシステムと連携し
コミュニケーションだけでなく、便利ツールとして、業務ツールとして
色々な可能性の広がりがあるところがまたおもしろい。
まだ、このような特殊な使い方がされているわけではないけれども
大いに期待できる土台を持った間口の広いとても「ゆるい」システムです。
ただね、問題なのは
これだけ手軽だと、あえてブログを書こうという気が起こらなくなるw
改めて、ここ数日おもったのだけれども
世の中はどんどんメンドクサイ方向に向かっていますね。
メンドクサイ方向というか、メンドクサイことを避けて
何もかもがメンドクサくなって
全てがよりショートに、シンプルに縮まっていく。
ツイッター文化は「広がり」なのか「縮み」なのか僕にはまだわからない。
でもね、文化っていうのは、メンドクサイものなんだ。
文明化によって物事は、洗練されシンプル化しているけれども
文化って言うのは、無駄そのものだって、
確か司馬さんがそんなようなことを言っていた。
無駄な所作、無駄な語尾、無駄な抑揚
こういったものに、人は情緒を感じ文化を生むんだってさ。
ほんにぃ、ごきげんよろしゅぅぅ~
この無駄な語尾の長さに、どこか懐かしさを感じるんだ。
メンドクサさってのは、この無駄をどんどん省いてく作業な気もする。
便利になるのはいいことだ。
短時間で、人と触れ合えるチャンスが広がるのは
時間のない現代人にとっては、オアシスなのかもしれない。
でも、どっかにはそのメンドクサさが残ってなくていいのかな。。
たぶん、シンプルさの中に利便性や享楽を感じることはできても
そこに本当の「絆」やら、「情緒」、「安寧」を感じることはできない
と、いう気がしないでもない。
たまには、メンドクサイ ブログ書かないとな。。。
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Category:一般/日記 |
Date:2010/07/01