ライフ・イズ・ビューティフル
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イタリアのロベルト・ベニーニ監督作品で、こんなタイトルの映画ありましたよね?ちょっと癖のある映画で感じ方は様々だと思いますが、私はこの映画のメッセージは「人はたとえどんな状況に追い込まれようとも、自身の心持で幸せになれるし、誰かを幸せにすることができる。」ということなんじゃないかと思う。自分の人生で辛かった時期といえば、やはり留学時代とその前段を含めた10年間。でも、その最後の1年に感じたのが、ちょうどベニーニ監督作品を見たときのような感覚だった。人はどんな状況でも、私自身の心境しだいで幸せになれる。あんなに辛かった渡米生活ですが、その最後の一年間は今思い出しても幸せだったと感じることができる。それを学ぶのに10年も要したのだから、思い返す度に自分は実に学びの遅い人間だと思ってしまう。
人生には常にチャレンジが待っていて、それを学んだと感じた瞬間、あれよあれよという間に、次のステージへと進んでいく。どんな状況であっても幸せと感じることができる。。。と、学んだはずなのに。次のステージは更に辛かった。能力や性格の限界と市場主義の狭間で、自分の弱点をえぐられたような気がする。弱点っていうのは、きっと自分自身への「こだわり」なんだなきっと。こだわりがあるからこそ、そこに固執するし、思い通りにならなければ腹が立つし幻滅もする。月200時間の残業と四六時中鳴り止まない保守携帯を持ち歩きながら、必死に抵抗しようとあがいてたんだね。自分の力では屈しがたい大きな力の前に固執することに何の意味があるのか。結局、自分のふがいなさと能力不足に打ちひしがれるだけで、足が一歩も動かなくなった時、ライフ・イズ・ビューティフルの風がまた流れた。状況に固執するでもなく、状況を打破するでもなく、ただその状況を眺めていればよいんだよね。そうやって人生はブループリントの通り流れてゆき、僕に課された課題は消化されていく。脱却すべき時が着たら、それは自ずと目に見える形でやってくるもんだ。。。と、自覚した。その後も厳しい状況は相変わらず続いたけれど、もう自分を責めることも状況を羨むこともなくなった。
脱却すべき時がきたら、それは自ずと目に見えた形でやってくる。これは渡米した最後の1年がそうであったように。何かを得た!と思った瞬間。自分の意思とは違う次元で人生は思いもせぬ方向へと流れていく気がする。そんなことを思っていたら、ある2つの出来事が起こった。
1つ目。これはまだ皆さんには言ってないので、ここで初めて発表するのですが。。。そんなことを考え思い立った翌日、突如として会社のオフィス閉鎖の話が舞い込んできた。勤務地が突然の異動ですよ!移転自体はこれから2年後。。。まだまだ先だけれども、これは一つのけじめの時期かも知れない。東京に散らばったオフィスを一箇所に集約するのだとかで、各オフィスを閉鎖し新オフィスに移転することが決定したみたい。僕が慣れ親しんだオフィスも例に漏れず、いずれ閉鎖されることが決定した。新オフィスは江東区だっていうから、自宅とは正反対の方向になる。オフィス移転の話は以前からあったものの、まさかこういう形ででてくるとは思わなかった。今はただ静観し、ゆっくりと沙汰を待つことにしよう。
2つ目。立ち読みした本の中で、偶然に読んだ章がある。IT業界について語られていた文章なのですが、この中にあった「ITゼネコン」という言葉をきっかけに今までおぼろげだった自分の歩いてきた道がはっきりと見えてきた。簡単に言うとITゼネコンとは最近よく語られるようになった言葉で、日本のIT業界全体が巨大なピラミット構造をしたゼネコン化しているというお話。どんな小さな案件でも技術の蓄積を念頭に置く欧米に対して、日本ではなるべく大きな企業の傘下に入り込んで(時に採算を度外視してでも)、以後の安定した受注を得ようとするのが日本のIT業界の姿。技術者集団というよりは、日本のIT企業は孫受け曾孫受けのように入れ子式になった巨大な派遣業者のような形をとっている。ただし派遣業といっても決して安定したものでなく、いまや賃金の安い中国やインドに猛攻をかけられているし。実態が明るみに出るにつれ大学生の就職活動でも不人気のIT業界。万年人手不足がたたり日本のIT業界は数年内に崩壊する、とまで言われている。技術大国日本といわれながらも、世界に誇るソフトウェアが皆無なのにはこのような背景があるのかもしれない。
今まで仕事をしながら、ずっと漠然としていた違和感がなんかはっきりした気がした。うん。僕がこの業界に就職することを決めたのは、なにも安定を求めていたわけではなく、高い給料を求めていたわけでもなく、ましてどこぞの企業に派遣されるだけの駒になりたかったのでもない。純粋にモノを創るという行為に魅了されたからだったと思う。そんな僕にとっては、この派遣されたり/したりだけの世界に生きることは非常に惨めだった気がする。今思えばこの悲惨な誤解も避けて通れない道すがらだったのかもしれない。
こういう虫のしらせ?を聞きながら自分のなかで、一つのステージが通りすぎていくような感覚を呼び起こされるこの数週間。夜明けの小鳥のさえずりを聞くたびに、わぁ、幸せだなぁ!と感じる朝を迎えている。そんな毎日に気が緩んだのか首を痛めてしまい。。。寝込むことになるのですが、、、。なんにしろ、この10年弱の期間、よぉ頑張ったなぁ。。おれ。と思うのでした(笑)
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Category:一般/日記 |
Date:2008/05/30