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今日の一言

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毎日書くって、結構ネタがなくなるね。。。
社長さんよくつづいてるなぁww

そこでちょっとネタ帳を開いてみる。。。

ここ数年、図書館で本を借りることが多いので、
気に止まった文章があるとなんとなく書き留めることがある
本に付箋はったりできないから^^
これも、あらためてみてみるとそこそこな量になっている。

ちょうど、隊長のブログで情報についての考察があったので
なんか関連した偉人の言葉を捜してみた。

インドのすばらしい神秘家のOSHOという人からメモを見つけた。

「情報は、何人もカモフラージュできない。それは、その後ろに、あなたが自分の無知を隠すことができる盾だ。けれども無知は、それによって破壊されることはない。反対に保護されてしまう。

(中略)

いわゆる学識者と無学な者の間には大した違いはない。おそらく、違いは言葉のそれ、言語的なものであって、質的なものではない。内面の質は同じままだ。
これは、理解されるべきスーフィズムの基本のひとつだ。知識は、もしそれがあなた自身の生の一部でなかったら、全く無用な重荷となる。もし、それが外部から付け加えられるものならば、それを落としなさい。不必要に持ち運んではいけない。それは有害で、有毒で、重荷だ。それはあなたに遠く迅速に動くことを許さないだろう。そして、知識を集めれば集めるほど、あなたの動きの可能性は少なくなる。」

別のメモも発見。
こちらは、情報というよりも僕らの知識とか知恵についての考察
同じくオショーから

「全ての憶測は、疑いの中に根を張っている。おそらく、そうかもしれないし、そうでないかもしれないということだ。そして存在には三つの層がある。1つは既知のもの、とてもとても小さな光のあたる部分。それはわれわれが知るにいたった、とても小さな光の当たるスポットだ。そして、その周りに無限の未知の部分、大いなる夜の暗闇がある。しかし、未知なる物は少しは推測できる。我々は推量できる。なぜなら、既知なるものと未知なる物は質的には異なっていないからだ。
科学は、既知と未知というこれらの2つの世界にいる。あなたの理性、推測、推論は、既知のことに基づいている。それゆえ、あなたは未知なることから何かを差し引いて暗闇の中に入って行き、光の当たる範囲をもう少し広げることができる。
しかし、まだ他の何か、第3の領域、知られ得ないものがある。論理性は知られたる世界の中で完璧に機能する。それらは知られてない世界では推測として部分的に働くだけだ。それは、知られ得ない世界では全く機能しない。知られ得ないものは論理性を超えて存在する。神は未知のものではない。・・・知られ得ないものだ。・・・神を体験したものでさえ、神は神秘のままだ。・・・あなたが彼の中に染み込んでいけばいくほど、ますます自身は消えていく。ちょうど大洋に落ちていく一滴のしずくのように、知る人は溶けてしまう。」

さて

「時はとても短い。生はとても小さいものだ。70年の生の35年近くが睡眠に充てられる。そして、食べ、飲み、着飾り、会社へ行き、家に帰り、食いぶちを稼ぎ、友達に、クラブ、ホテル、映画にテレビに使われる。ちょっと数えてごらん。生きるのに1年も残ってはいないだろう。70年間のうち1年間すら、瞑想、探求、在る、ということに残されていないことがわかるだろう。」
(OSHO ユニオミスティカ)
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Category: | Date:2008/12/16


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