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お年寄り&ニートが世界を救う

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あ、またタイトルで大風呂敷を広げてしまった。

今日は久々にお昼休み一人だったので、しばらく行ってなかったマクドナルドで昼食をとった。一人だとなんとなくファーストフード店に足を運んでしまうのが僕の癖になっている。杉並区のはずれの井の頭通り沿いにあるマックは子連れの主婦の溜り場のようだ。野外に設置されたジャングルジムでキャッキャと騒ぐ子供の喧騒の傍ら、店内ではそれをわき目にお母さんが仲良し同士でグルーピングされていく。そのさまを楽しみながら、僕は読書にふけった。同じ地域で同じ時をすごしていても、まったく異なる空気があることを身体に感じ、なんだか今日のお昼は心地よかった。

マックの帰りに、古びた町工場の受付で人形のように動かず陽だまりの中ボーっとしている80歳前後のおじいさんを見かけた。お人形のような受付嬢ならぬ受付爺だ。ここにもまた別の空気が流れていた。給料が安くても、それはそれで楽しいのかもしれない。いや、もしかしたら年金をもらって悠々自適に生活しているのかもしれないし、そんな中、自分の職人技を生かして物凄い技術支援をしているスーパー受付爺さんなのかもしれない。あのおじいさんの顔には、そんなプライドが刻まれていた!・・・かもしれない。

うちの母が、そろそろ教職を引退することを考えているようだ。このところ教職で働く環境が劣化し、それに伴い学校の質も、先生の質も、子供の質も、親の質も、何もかもが悪い方向に向かう負のスパイラルに入ってしまったようだ。そんな中で30年というキャリアをもった職員が、ただただ辞めていってしまうのは、実にもったいない。本人に聞いてみても、決して働きたくないわけではない。ただ、自分の仕事に納得していないのだ。自分の能力が生かせる場所があるのなら引退後、年金生活をしながら手助けにいくことは決してやぶさかではないようだ。問題は給与云々ではないのだ。空虚なマネーではなく、実感を求めている。ただ、それを生かす機会もないし、それを許す社会の制度もない。誰もが責任逃れをしながらマネーゲームのジョーカーを探している。

年金生活を送りながら、能力を惜しみなく社会に還元したいと考えている退職者は多いように感じる。自分の生活の土台を年金で固めながら、マネーゲームからいち早く卒業できるのは、もしかしたらこの世代なのかもしれない。残念ながら、僕ら若年層にはそれだけの土台がない。なによりそれ以前に、それだけの活力が僕らにはないんじゃないかと思ったりする。

そうすると、、、こう言っちゃ言い方が悪いけれど、その親の世代の年金を食いつぶしながら、生活に土台を置くニートにも将来の道を切り開く可能性を感じてしまうのは僕だけだろうか。彼らも決して働きたくないわけじゃない。団塊の世代が退職し、その余った時間を自分の息子への職業訓練に費やしたり、手助けをしたりすることで、もしかしたら多くの能力がニートに伝えられる可能性もある。それを消化する時間も、土台もある。彼らが引け目を感じることなく生き生き活動できれば、の話だけれどね。行く先を模索しているニートもこの空虚なマネーゲームから抜け出すのに一番近い出口にたっている先駆者かもしれない。なにしろ、彼らには潜在的な「こだわり」があるはずだ。

自分の土台をどこに置くのかって難題です。とかく現代社会はマネーこそが安定だという幻想を生み出してしまった。高収入を獲ながら、暗い井の頭通りを歩くサラリーマンと、暖かい陽だまりの中で受付をする老人。そのどちらが安定しているかなんて、どうやったら図れるというんだろう?

将来の安定のために、仕事をする人が大部分だと思います。でも、将来の安定ってなんなのか最近よく考えます。貯金だろっか?貯金だったらいくらあれば安定なんだろう。技能だろっか?どれだけの経験をつんだら安泰だなんていえるのだろうか?

もし、死ぬまでの生活を保障してあげると私が言ったら、あなたは今の生活を続けます?
もし、答えが「No」であるなら、あなたの足かせになっているのは何でしょう?

世の中には、これだけの違った空気がながれている。
社会の常識って全然あてにならない。。。




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Category: | Date:2007/12/20


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