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世界は誰がために回っている

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人の本性は自分の幸せだけを願うことなのだろうか?
世の中の活動のほとんどは自己の利益を最大化し守るという活動に当てられる。
それこそが人生をかけるに値する喜びを生む活動なのだろうか?

脳医学だかの研究か何かで言っていた、
人が一番「しあわせ」を感じる瞬間は誰かを思いやる気持ちが
生まれた時なのだそうだ。

僕らはより大きな目的に生き、より広く世のために活動する
その瞬間に焦がれているのではないだろうか。
その心にもっと正直に生きることができたら、
未来にはこれまでと違った心踊る経験が待っていると信じたい。


豊になるために忙殺される生活の逆説

大抵の人は職に就いてお給料をもらって生活している。
給料が上がれば喜ぶし、昇給がないとわかるとモチベーションがぐっとさがったりする。
そしてまた今日も、年収1000万の管理職を目指して昇進を懇願する。

前職で僕は寝る間も惜しむ(笑)SEをやっていたけれど
自分の生活には余りある給料をもらっていると感じたことがある。
残業代は青天井だったし、もっと働けばきっともっと給料があがったかもしれない。
でも、あるときふっと思ったんだ。
収入で評価されることが多い世の中だけれど、僕は収入で自分の人生を計るのだろうか?
自分の生活から収入を決める選択肢があってもいいんじゃないか。
僕は給料を倍にすることを望んでいるのだろうか、それとも
自分の人生を生きるために活動しているのだろうか。。。


モチベーションを上げる偏った方法

人間は単純に利益追求のみに関心のある短絡的な動物じゃない。
恋愛のためだったり、くだらない(と思われがちな)TVゲームだったりスポーツに
僕らはいとも簡単に喜び勇んで大量の時間をつぎ込んだりもする。

なぜだろう。

ここに面白い研究がある。TED Talksから動画を参照。
モチベーションは、かならずしも報酬の上下によって決まらないというものだ。
またそのような「条件付き」の活動はむしろその報酬がなんであれ
人間のクリエイティビティーに害を与える。



この科学的研究の結論からわかるのは、
人はより内的な衝動によって動機づけられ、そこに意義を見出す多様な生き物なのだ

現在ビジネスで行われていることと、科学で認められている事実には大きな隔たりがある。


"お金"によって世界は救える?

近年、環境問題などで企業のなかでもCSRなどという言葉が囁かれるようになってきた。
企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)というやつです。
よりよい社会にするために企業が毎年社会貢献に励む世界が生まれようとしている。
自由市場の中で相互利益を生む関係を深め、よりよい世界を構築する、
というこのアイデアはほんとに地球を救えるだろうか?

先日行ってきた講演会で、田坂広志教授が大方こんなことをおっしゃっていた。。
CSRは理論的には素晴らしい理想であるにせよ
「競争原理」による「CSR」の歪曲を企業は避けることができない。
"CSRを重視しないと競争に負ける"
"CSRを重視すれば利益になる"
結局、利益の最大化を使命としている今日の企業では
いかなる決断も「競争力と利益を侵害しない範囲」でのみ下される。

株主の利益を上げることが、経営者の法的な義務であり正義なのだから。
このような企業にとってCSRは時として単なる飾りに過ぎない。


社会的責任や社会貢献は美意識によってなされる

社会的責任や社会貢献は「法的強制」や「社会的義務」によって成されることはないだろう。
自由市場の中で企業は利益の呪縛から逃れることが出来ず、
規制強化というルール付けはあまりにも大雑把に問題をとらえすぎていて
個々の問題や物事のスピードに対処できない。

では、社会貢献は何によってなされるのだろう。。

それは規制や競争によって外部からもたらされるのではなく
我々それぞれ個人の内部から起こる意識によってなされる。

田坂教授の言葉を借りれば、「美意識」の文化だ。

僕らが何かに突き動かされる時、それは「決まりごと」だから。。。ではなく
やったほうがカッコイイから、とか こんな行為は人として恥ずかしいから
といった内的な衝動によるものが一番強いはずだ。
そして、この心に従った時、僕らはより大きな幸福を感じるのである。


資本主義の欠点

現在の資本主義は、非常にパワフルで即効性があり、
世界を瞬く間に動かす非常に効果的なしくみであることは間違いない。
しかし資本主義は、「人は利益追求のみに関心がある一次元的な存在である」
という狭義な知性によって形作られた不完全なしくみでもある。
今地球の資源は一部の資本家によって一方的に消費され続けている。
その結果、持続性の極端に低い破滅的なモデルに陥っている。

より強いものがより多くを得て、また有利なルールに乗ることができる
それは能力に差があったり、生まれながらの環境の差であったりもする。
世界のたった1%の人口が世界の約40%の資産を保有していて
結果、世界の人口の半分は、一日数百円での生活を余儀なくされている。
僕ら先進国の生活はこういった弱者の土台にたっているといっていい。
一部の人や地域がその他の大量の資源を消費するアンバランスな世界である。
それでも、僕らはこれが自由市場原理が生んだ当然の結果だと信じてやまない。

利益のみを最大化するこのモデルには限界がある。
それは、個人のモチベーション的にもそして社会のしくみとしても
その限界点はいよいよ近づいているのではないだろうか。


はじめよう!ソーシャル・ビジネス

最近、グラミン銀行の創設者ムハマド・ユヌス氏(2006年ノーベル平和賞受賞)の
「貧困のない世界を創る」という書籍を読んだ。
とても創造的で挑戦的な内容に感動してしまった。
時間があれば是非読んでみてもらいたい。
ユヌス氏の愛情あふれる革新的なアイデアに心揺り動かされること間違いなし!



この本の中でも紹介されていたソーシャル・ビジネスという概念を紹介しよう。
ざっくり言えば利益の最大化よりも、その社会における目的を重視する組織のことだ。
この組織により、利益追求のしがらみから経営者が解放され
人の純粋な社会に対する貢献や献身的な思いが一気に開花している。

これまでにもあった非営利団体や、慈善事業となにが違うかといえば
ネーミングの通り、ビジネスとして成り立っている点だ。
社会性だけでなく、その事業性が問われるのが大きな特徴だ。

非営利団体や慈善団体によって、営利を追求しない点では
より純粋に社会の真の需要に対して答えることができるようになった。
しかし、その資金源は寄付であったり、ボランティアであったり
その組織そのものが自立した持続可能性を持ち合わせていないのが問題だった。
結果、それらの団体は資金繰りに悩み、
多くの時間をその活動の目的以外のことに費やしている。

ソーシャル・ビジネスでは、社会貢献そのものを事業としてとらえ
これまでのビジネスの手法や人材はそのまま使うことができる。
ソーシャル・ビジネスはそれ自体が持続可能な自立型の
事業組織と言えるかもしれない。


ソーシャル・ビジネスとその2つの種類

具体的には2種類のソーシャルビジネスが存在する。
ユヌス氏の書籍から引用しよう。

1つ目は、所有者に対する最大限の利益を追求するよりはむしろ社会的な利益を追求する企業で、経済的な報酬よりも心理的、精神的な満足のために、貧困削減、貧しい人々へのヘルスケア、社会的な正義やグローバルな持続性といった社会的な利益を求める投資家によって所有されているものである。

2つ目は、かなり異なったやり方で運営されるものである。貧しい人々や恵まれない人々によって所有されている、最大限の利益を追求するビジネスである。このケースでは、PMB(=利益の最大化が目的のビジネス)が生み出す配当と株式の成長を貧しい人々の利益になるように仕向け、そこから社会的な利益を得るものである。その結果、彼らの貧困を軽減する、あるいは一社会全体として貧困から脱出することさえ助けることになる。


自由市場の中で、こういった組織が事業性を持ちつつ自立し
近い将来、現行のPMBよりも競争力を持つだろうと言います。

そしてなにより、この活動が未熟な資本主義そのものの構造を補完する
新しい潮流を生むことになることを大いに期待したい。


自由市場とグローバル化

僕はずっと自由市場の中で経済発展が行われていく過程で
グローバル化を推し進めるのは間違いではないか。。。と疑問を持っている。

ところがユヌス氏は、その危険性を指摘しつつも、
適切な交通整備のような統制をとりつつ貿易の自由化とグローバル化を推し進めれば
このソーシャル・ビジネスがより強力により広い範囲の恵まれない人々を
救うことができるだろう。。。と指摘している。

自由市場は経済成長にとっては重要なものだ。自由貿易は潜在的にはすべての人々に利益を与えることができる。しかし、もしそんな結果を得たいなら、うまく設計されたグローバルな規則が必要だ。そのような規則がなければ、最も豊かで最も強力な企業と国は、より貧しく、より弱いものを支配するだろう。一方、グローバル化をうまく管理すれば、まださほど開発が進んでいない社会や個人が自分自身の居場所を見つけて、ほどなく彼らの強力な隣人に追いつくことができるような方向に持っていくこともできるのだ。

これまで多くの問題を爆発させてきた自由市場とグローバル市場においても
このソーシャル・ビジネスがその未熟さを補完する役目を果たすのだろうか?

いずれにしても、衝撃と共に新たな視点を与えてくれたこの
ソーシャル・ビジネスという思想に僕らが何を出きるだろう、と想いを馳せてみたい。


自分たちにできること

まずは、数人のグループで何かしらの活動をしてみるといいかもしれない。
何もすぐにPMB企業を辞める必要などなく、それらの企業と共存することが可能だと思われる。
いくつかのソーシャル・ビジネスを掛け持ってもいいし
むしろこれまでのPMBでの経験がそのまま生かせるのも特徴だろう。

ただ、単なる趣味やNPOと違うのはその活動そのものが持続可能な
自立した組織であることが重要だということじゃないだろうか。

たとえば、僕は週末に友人数人とで農業を行っている。
これは、ビジネスや営利目的を差し置いて
食物の生産というものが、あらゆる活動の原点にあるのではないか
という思いから始めてみた活動だ。

ところが、畑をするのにあえて収支表をつけているのだけれども、
結果、自然から食べものを生産するだけのことに
しかも、たった50平米そこらの土地で農作業をするのに
初年度は、初期投資を含め39,000円ほどかかっている。
2年目の今年ですら、おそらく去年の実績から考えると
苗や肥料に12,000円程度の出費がかかることが予測される。

人一人が生活できるのに必要な畑の広さは約10平米だという話を
どこかで聞いたことがあるが、
これだけ見てもわかるように、結局僕らは土地があっても
今の農業だけでは生きていけない。

ただ悲観することはない。
このような収支表をつけた活動は結果いいことだったと思う。
PMBにてペイワークをしながら活動を続けられるうちに色々試してみればいい。

活動も別に一つに絞る必要などなく
色々なメンバーと色々な活動を通して
結果、社会貢献と自分自身や身の回りの人々の幸せにつながれば
それが自身の喜びにつながっていくのではないかと思う。



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Category: | Date:2011/08/23


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