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和を以って尊しとなす

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奈良旅行からもう2週間がたった。今年の旅行は期待以上に多くのことを学んできた気がする。帰ってから人と話していて気づいたんだけれど、僕の周りで法隆寺に行ったことのある人が少ない。・・・意外。修学旅行で行かなかったってのはわかるんですが、個人的に旅行に行ったけど敢えて行かなかった、とか。ま、僕も西岡棟梁に導かれていなければ法隆寺まで足を運んだかどうかは怪しいですけど。確かに、写真でもいつでも見れますからね。でも、その場に立ってわかることってあるじゃないですか?法隆寺ってものすごく多くのことを語りかけてくる処ですよ。奈良に行く機会があれば、ちょいと立寄ってもらいたい。

法隆寺僕らは旅行2日目に法隆寺を訪れた。生憎この日は朝から雨。天気予報でも雨。ついでに翌日も雨だって。すごく楽しみにしていただけにちょっと沈みがちになりながら斑鳩方面へ向かう。実際に着いたのは午後。ここで嬉しい誤算。予想を裏切り雨がぴたりと止んだ。(ここから信じられないくらい天気は回復に向かうことになる)雨のせいで沈みがちだった気持ちも晴れるってもんだ。うーん、やっぱり気持ちが沈んだからこそ後の喜びが噛み締められるもんなんだな。天気に演出されながら法隆寺の門をくぐる。すると目の前にどーんとでてきます。中門の向こうにそびえる五重塔が。圧倒されて思わず息をのむ。確かに写真と変わらないんですが・・・どう表現したものか、あふれだす生命力が嬉々と五感にしみこんでくる。「ここから和の文化が始まったんだ・・・!」と、思わず自分に言い聞かせた。そんな場所ですよ。

建物の随所をみても無駄がない。ちゃんと使ってやれば、千年の檜は伐採されてからも千年は建材としてその威力を発揮する。西岡棟梁の言葉を借りると、「木は2度生きる」のだ。(← なんか007のタイトルみたいでカッコいい。)現代の建築基準では、土台にコンクリートを敷き詰めその上に釘やらボルトでがっちり木を固定する。ところが木は足元から腐っていく。コンクリートを敷くと百年もつ木も数十年で腐り始めるんだそうだ。ボルトにしろ釘にしろ木に傷をつければ強度も損なう。実際の古建築を見ると柱は全て自然石の上に「そのまま」のっかっている。釘などは土台には使わず建物の重みだけで固定される。なんだか不安定そうに感じるけれど、1300年の間 災害を切り抜け今も建ち続けている実績がその巧妙さを物語っているのかもしれない。とはいえ効率化を求められ、スピードと一定の強度が保障されなければならない現代には、この古代の工法を取り入れるのは難しいだろう。室生寺ただ、僕が感じたのは今言う「効率化」ってなんなんだろうってこと。一般的な木造住宅を建設する場合でも、おおよそ樹齢60年くらいの木が必要になる。これをコンクリートで固めて25年程度しか持たない家を効率よくささっと建ててしまう。確かに以前より容易に家が建つようになったし、効率がよくなり便利になった。25年経ってボロがでたらまた新しい家を建てればよいだけの話かもしれない。でも、樹齢60年の木を25年の周期で利用したらどうなるんだろう。室生寺まで行って樹齢数百年の木々に囲まれた森を歩けば、そんなに簡単な話じゃないことに気づくかもしれないね。昔はこの斑鳩の地も樹齢千年を超える木々に囲まれる原生林が広がっていたのかもしれない。建造から1300年建つ法隆寺に使われている樹齢千年の木は今から二千年以上前に芽吹いた命なのだ。これと同じ木を育てるのには当然千年の月日が必要になる。だからこそ千年の木は、建材としても千年生きてもらわないことには資源が浪費されることになる。古人には遥か未来の子孫の世代を見越して自然と人間との調和に「持続可能性」というものが見えていたに違いない。残念ながらその意思は徐々に忘れられ、現在日本で使用されている樹齢千年を超えるような檜は台湾から買っている。もはや国産ではまかなえないのだ。そんなことを思うと、僕らがいつも使っている「効率化」って言う言葉は目先の一側面しかみていないのでは。。。なんて、考えさせられてしまう。。効率化を求めて鉄筋コンクリートに囲まれて僕らは今暮らしている。鉄筋だってもって百年でしょう?檜は千年もつんだから、鉄が強固だなんていったい誰が言い始めたんだろう。木を切り崩し山を掘り起こし鉄筋コンクリートで町を埋め尽くした挙句、数世代後の子孫に、僕らは何一つ残すことができないかもしれないね。

格子話がそれてしまった。とにかく、こうやって効率よく木を「活かす」ためには、材木の見極めっていうのがとっても重要になってくる。人と同じで材木にも適材適所がある。人にも癖があるように、すべての木には癖があるし得意不得意もある。木を活かすにはその癖を見越して適材を適所に適切に織り込んでやる必要がある。だからこそ、法隆寺の五重塔は今でも歪み一つなくまっすぐ天に伸びている。法隆寺には無駄なものがない。効率という意味でも、適材適所という意味でも、装飾ですら目立ったものは何もない。僕はあんまり建築のことはわからないんですが、江戸時代の日光東照宮なんかとくらべてもそれらしい装飾がぜんぜんほどこされていない。かといって、見劣りするかと言われるとそんなことない。わからないなりにも、どこか本質的な質感を感じるもんです。自然が素のまま生き生きと活かされているような感じがする。きっとその裏には気の遠くなるような超人的な技があるのだろうけれど、そんなことは僕にはわかんない。ただ、理に適うということは、美しいということなんだな。きっと。今回初めて知ったのですが、1300年前には鋸(のこぎり)も台鉋(だいがんな)だってない。材は割ってたんですって。今のように規格化された材木がホイっと手に入るわけじゃないんですね。こんな窓枠一つにしろ手間がかかったでしょうねぇ。おまけに千年経っても歪んだところがない。法隆寺は出来てから1300年間解体修理すら必要なかったっていうんですから、いかに木を知り構造を重視して建てられたかってことですよね。すべての職人さんがそれだけの技術と想いをもっていたんでしょう。これだけのものは、ボスに言われてただやらされているだけの大工にはできない業ですよ。飛鳥時代を作り上げようとしていた人々の想いが伝わってくるようで心打たれます。こういう匠の作品が今でも一般に開かれていて自由に手で触れて回れるんですからね。ありがたいことです。

と、まぁなんだかまとまりなく、体験談と西岡棟梁の話をごちゃまぜに書きなぐっちゃいましたが、、、結局、一言すごく感激したって言えばすむことですかね(笑)

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Category: | Date:2007/05/15


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