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天才との付き合い方。

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クリエイティブな仕事を職業にした人は
そのアイデアの源が枯渇することをおそれたり
もう二度と自分の想像力が期待する/される結果を
産まないのではないかと悩む。
結局大好きだった自分の仕事のプレッシャーに負けてまう。

クリエイティブな仕事ではないにしても
多かれ少なかれこのような悩みに付きまとわれることはないだろうか
僕らは結果を求められ、結果に導くための力が自分にないことを恐れている。

そんな恐れからちょっぴり遠ざかるための2つの言葉を紹介します^^


ジーニアスはもともと精霊を意味した言葉

先日、エリザベス・ギルバート(作家)氏のプレゼン動画を発見した
内容は創造性を仕事にしているクリエイターの精神状態をいかにして
世間からのプレッシャーや自分自身がつくりだす重責から避難させるか。
世間の多くの天才といわれた創造者は、
少なからず世間からのプレッシャーに押しつぶされ
酒に溺れ、薬に溺れ、そしてそのあふれる才能を命と共に絶ってしまったりもする。

このような状態を健全に保っておくための一つの答えが
古代ギリシャやローマの文化にあるといいます。
当時、個々の人間には才能があるとは考えられておらず
何か目に見えない精霊のような存在が人間を通して
創造性を顕在させていると、考えられていたそうだ。
ソクラテスには「デイモン(精霊)」がついていたと考えられていたし
同じく、古代ローマではこの精霊のことを「ジーニアス」と呼んでいた。
これはルネッサンス以降、世界の中心に人間を置こうという流れが起こるまで
もともと才能は一人の天才にやどるものではなく、
天才とは人智を超えた叡智を通して顕在するものと考えられていた。

創造性と、自分自身の間に一つの精霊というロールを置くことで
創造性に対する責任と、重圧から当時の天才は守られていたと言います。
ある日突然現れなくなったアイディアやクリエイティビティーに嘆くこともなく
以前に自分の生んだ天才的な結果を超えられないと自責する必要もない。

それらは皆「天才」と私の共同作業なのだ。




自分は偉大なるものの音を奏でる楽器であれば良い

YouTubeを見ていたら、倉本聰氏と歌手のJUJUさんの対談が乗っていた。
なんだか、面白そうだと見ていたら、
「どうしたら、人のこころに届くような歌を歌えるのか」というテーマになった
それに対して、倉本さんが言うには、
時々自分の能力を超えて作品が生まれることがある
アーティストというのはある意味、
ミューズの神なんだか何か偉大なものに使われている。
だから、その音を最大限に表現できるようにただ楽器であればいい。と

技術うんぬんに思い悩んでいた時よりも、よほど楽に創作活動ができるようになったそうだ。



悩むのは天才だけじゃない

自分の才能以上の結果を出せないのではないかと悩んだり
自分を責めたりするのは、何も天才だけじゃない。

自分の才能以上の結果がついてくることも
やっぱり、天才だけに起こるような特別なことじゃない、と思う。

もし、僕ら自身の「天才」と上手く付き合うことができたら
自分はただいい音を奏でる楽器であればいい
それが言えるようになったら
僕らの生活もちょっぴり楽になり
もっと楽しく創造性に溢れた暮らしができるようになるはず。





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Category: | Date:2011/07/30


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