幸せを創りだす科学(ダニエル・ピンク、ミハイ・チクセントミハイほか)
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幸せの定義は人によってまちまちかもしれない。
欲しい物が何でも手に入る大富豪でも不幸な人はいる。
貧困のどん底でもなんだか毎日満たされた日々を送っている老人もいる。
心の幸せとは、自分の外から与えられるものではないようだ。
大海原をごらんなさい。
海上がいくら大荒れであっても
海の底は常に静かで穏やかだ。
(チベットの僧侶、マチュー リシャールの言葉)
個人的にも内なる幸せを育む鍛錬こそが最も大切なことだと思う。
現代社会では英語の勉強や趣味に何時間も時間をかけるにもかかわらず
己の幸せを求める心の鍛錬に費やす時間は皆無だといってもいい。
しかしながら、そうだとしても人がより簡単に幸せを感じ、
より効率よく安心に生活するために
僕らが人工的にそして科学的にできることはないんだろうか?
幸せは内から作られるを科学的に実証してみる
人は幸せを自分の内側で創りだす能力を持っている。動物と人の脳の大きな違いは体験を擬似化できる能力なのだそうだ。
心理学者 ダン・ギルバート氏が行った実験を紹介しよう。
ここでは実験の細かな内容にまでは触れないが、
人は選択肢が限られるとそれがベストな状態だと思い込むことで
満足感が増幅する、と言う。
つまり赤い靴しか選択肢がない場合、
必然的に赤い靴を好むようになる、ということだ。
期待通りに物事が進めば満足を感じるし、
逆に物事が思い通りに進まないと不満を覚える、
という考えを真っ向から否定する実験結果だった。
物事が思い通りに進まない場合、むしろ満足を生み出すことができ
自分でコントロール出来ないほどの選択肢が増えることで
人は思い通りの未来を描くよりも前に多く悩みを抱える。
経済的豊かさは人を不幸にする!?
つまりあるレベルまでは、幸福は人工的に作ることが可能ということかもしれない。僕らの身の回りの状況を考えてみる。
もし、靴の色が赤しかなかったら、最終的に僕らは人工的に
赤を好むようになる傾向がある。
しかし、赤と黄色と緑の選択肢があると、
僕らの思考は自分にあった色は何色なのだろうと悩み続けることになる。
靴の色の選択肢が多い社会と、そうでない社会では
どちらが理想かといえば、選択肢が多い方を選びがちだが
これは人工的幸福が生まれる過程を知らないからだ、とも言える。
僕らの生きている社会では、自分がコントロールできないほどの選択肢があり
その選択肢のなかで常に迷い不満足な状況が人工的に作られているとも言える。
その不満足さのなかから、常に新しい満足を求めて
新しい製品を欲しがり、次なる刺激を求めて別の選択肢を探し求めている。
ダン・ギルバート氏曰く
望みは制限なしだと、我々は本当に価値のあるものを犠牲にしてしまう
恐怖が限りなく強大であると、向こう見ずで臆病になる
願望や心配は、自らの内で作り出されるために
どちらも大げさとなり何かを選んだあとも常に別の何かを探し求めている
職場の中で没頭できる何かを見つけること
人が幸せになる条件が、お金でも物質でもないとしたら何であろう。自分の好きな作業をしている最中に時間が立つことも
自分の体が疲れることも忘れて何かに没頭する体験をしたことはないだろうか?
心理学者ミハイル・チクセントミハイ氏は
このような状態から永続的な喜びが生まれると考えている。
チクセントミハイ氏はこのような心理的状態を「フロー」と呼ぶ。
明確な目的、自分の脳力と難易度のバランス、活動に本質的な意味があること
など幾つかの条件がそろうとフローの状態に入りやすくなる。
テレビゲームなどはこの条件を人工的に作り出しているといっていい。
彼の研究による発見の中で特に面白い主張がある。
娯楽や趣味よりもっとフローの状態に遥かに達しやすい類の活動がある。
なんど、それは職場・・・なんだそうだ!
明確な目標、即座に得られるフィードバック、能力で順分に対応できる課題など
「フロー」に達する条件が揃いやすいのが職場なのだそうだ。
条件さえ揃えば楽しみ没頭できるだけでなくうまくこなせさえするのだ。
テレビゲームと同じ、この条件や環境はある程度人工的に作り出すことができる。
だからこそ、このような体験を奪ってしまう現代の職場環境の「常識」は
実に非効率でもあり謎めいた現象でもある。
チクセントミハイ氏はこうも言っている。
仕事とは関連性のない『遊び』だけを楽しめて、
人生で取り組む真剣な仕事を耐え難い重荷として耐えなくてはならない、
と信じる理由はもはや存在しない。
仕事と遊びの境界が人為的なものだと気づけば、問題の本質を掌握し、
もっと生きがいのある人生の想像という難題に取り掛かれる
職場との関係性を断ち切ろうとする人々
残念ながら職場とプライベートの積極的な関係を断ち切ろうとする人が多い。職場の中でのやる気やモチベーションがどんどん低下する一方で
ボランティアや、その他の活動に生きがいを見出そうとする人が多いのもその結果かもしれない。
仕事との関わり合いを強めたり、より会社に対する貢献を高めたり
従業員としての高みを目指すことを諦めてしまっている人は多いはずだ。
一説では、ギャラップ社(米国の世論調査会社)が広範囲な調査を実施したところ
米国内において、従業員の50%が仕事や職場に対しての関与を避け
うち20%は意識的に職場との関与に否定的だという調査結果もある。
これは、年間およそ3000億ドルの生産性の喪失に相当するのだそうだ。
会社は社員の自主性を許さず、コントロールしようとする
そのせいで従業員は自発的に仕事に対する意義を見出せずにいる。
ダニエル・ピンク氏によれば、アメとムチによる従業員の制御は
仕事に対する意識を狭め作業能率を低下させる。
どれだけ報酬を積もうとも条件づけそのものが遊びをビジネスに変えてしまう。
これらはクリエイティビティーや意欲を欠如させもする毒薬でもある。
極端な成果主義や業績目標についても同様だ。
より楽しく効果的な社会
経営理念に社会貢献をうたっている企業に問いたい。社会貢献がゴールなのですか?
社会貢献により利益をあげることがゴールなのですか?
僕らが株式会社に務める以上、株主の利益を最大化することが
法律上のルールなんだから、利益を追求すること自体が悪いとは言えない。
ただ、この考え方はとても危うい思想につながる。
社会貢献は単なるツールとなり利益さえ上げれば何をやってもいいという
モラルハザードに陥る危険を孕んでいる。
しかし、そもそも僕らの務めている株式会社の創業者は
利益だけを求めて会社を作ったんだろうか。。。
株式は儲けるために株を買うシステムだったのだろうか。
極端な目的設定は、我々に通常のステップを踏ませることを忘れさせてしまう。
人は目標に向かってショートカットする道を進む傾向があるのだ。
過度の選択肢を与えて消費者を常に不安に陥れたり
多くの人から仕事のやりがいを奪ったりすることが
効率的に利益を生むマーケティングやマネージメント手法だと
考えられていないだろうか?
しかし、それらは科学的には実に非効率で奇妙な行動なのだ。
僕らはより人工的に幸せを作り出せるし、それにより
もっと多くの想像力に満ちた発明や作業を苦もなくこなす能力が備わっている。
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Category:働き方 |
Date:2012/02/13