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目標を駆逐せよ!

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またまた評価面談の時期だ。目標値の達成度、来期の目標の設定。。。考えてみると入社面接以来、自己目標だとかキャリアパスだとかそんなものをしこたま詰問された気がする。


目標とは期限があって成立する!

入社当時の研修で言うには、目標と言うのは期限があって始めて成立するんだそうだ。長期目標と短期目標とがあって、最終目標に向けてそれを一段ずつこなしてゴールにちかづいていく。なにはともあれ、それで給与が決まってしまうわけだから、毎年この時期になると評価方法に問題があるだとか、目標設定自体がおかしい。。だとか目くじら発てて議論が始まる。。。


目標を持つことが幸せを遠ざける

僕の哲学的(?)に言うとwww人生において目標はなくってよい。もちろん目標設定が、ある日常のレベルにおいて効果を発揮する事は知っている。だから、強いていうなら「期待」を伴わない目標であればいくらでもツールとして活用したらいい。ところが目標と言うのはそこに期待が含まれてしまうのが常なんだ。3年後に課長になる。。45歳までに部長になる。。。それで?なれなかったらどうなるの?私の人生は失敗したことになるのかな?目標を持って幸せに生きられるなら持てばいい。。。ところが僕らは結果、目標に振り回されて生きている。そうやって日々吐き捨てられている目標に一喜一憂する。人生は成否でもなく勝ち負けでもない。こう言うのは簡単。。。でも、目標や夢破れてうらぶれる人間は一向に減らない。


自己の意識を反映する現実

もう少し、深い意識の視点で語るなら、現実は常に僕らの選択から起こっている。「目標を達成したい」という意識は、「目標を達成したい」という現実を生み出している。目標を達成「した!」という現実を選んでいるのか?目標を達成「したい。。。」という羨望の現実を選んでいるのか、己の意識に意識的であればその違いに気づくはずだ。もし、目標を達成したい、と願うのでなく、既に結果を承知しているのなら。目標は達成すべきものではなく常に達成されたものになる。目標から生まれるものは嫉妬でも羨望でもなく、ただ感謝で満たされる。


ただあるがままにある今

更に深い真理に照らして見るのなら、そこには目標など存在しない。あるいは全てがすでに到達された目標なのだ。我々はただ現実を流れている水のよう。成功と失敗は、日常レベルの表層意識が生んだ現象。裏も表もない。全ての事象は単に自己を定義するためのツール。。。全てがある!ということは何もない!ことと等しいのだ。僕らは何もない満たされた空間の中で目隠しをして、必要なものが全て与えられる満たされない空間を作り出すゲームを愉しんでいる。目標を達成する目標があり、目標を達成しない目標がある。どちらもただ「己」という自己を味わうゲームなのだ。いずれはみな海へ還るのだ。それまでは、「今」を愉しめばいい。



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Category: | Date:2008/10/08


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