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体とこころ

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最近、もっと自分の生の体について知らないといけないような気がしています。これまでは精神面や哲学の方に興味があったんですが。。。先日のブログで書いたのも物質としての体についてでした(前の記事)。自分の体が感じる、より「生々しい感情」についてももっと耳を澄ませないといけない気がしています。自分の体が直接的に感じる感情っていうのは、自分の信じる理性以上に真実を語ってくれることがあります。初めて見た瞬間の好印象とか。始めに感じた違和感。もっと言えば体の不調だったり、朝起きたときの爽快感だったり。こんな直感の鈍い僕でも、こういう脈略がなさそうなことを突き詰めていくと大抵どっかに理由がある。精神も物質的な肉体も合わせて1人前の自分なんだということでしょうか。バランスをとりながら、素直に自分の体に耳を貸すことができればもっと上手に生きられるような気がします。

だけど、僕らは必ずしも自分の体の声に実直ではありません。過去の「記憶」とか、「思考」で自らにアンプをかけて感情を増幅しているようなところがある。蛇に噛まれたという過去の苦い経験に照らし合わせて、蛇を見ただけで怖いと感じる。そうやって勝手にストレスを自分で生んだりしている。仕事だろうが、恋愛だろうがきっとあまり変わらない。だから本来自分の心をストレスから開放したければ、ありのままの現実を受け入れるのが一番よいはず。ストレスだけじゃなく、喜びや楽しみも。アンプにかければ期待が膨れ、喜びの感情は薄れていく。期待にそわなければ失望する。でも、きっと体はそうは感じてなくって、楽しいものを何度見てもありのまま楽しいといえること。これが生の感情に耳を澄ませていることだと思うんです。仏教には平常心(びょうじょうしん)という言葉があるんだそうです。平常心とは、動かない心のことをいうのではないらしい。よく平常心というと自分の感情を押し殺すことだと思う人がいますが、不動の心とは動かないことではなくて、動きの中に身をまかせること。海の水のように。海の水は波打ち際が波立っている。だからこそ中心はぶれずにすむ。自由でいられる。平常心とはこの不動の心をいうんですね。現状を自分で判断するから、動揺もする。失望もする。ただ、ありのままに、ただ流れのままにこころをしずめればいい。自分の体の声にアンプをかけずに上手に耳を澄ませてあげたいと思う、今日この頃。

動く水をただしずめさえすればよい。そうすれば、あなたの存在の水面に太陽と月が映し出される。」(ペルシャの詩人・ルーミー)

お勧め図書:
禅と脳」(有田 秀穂, 玄侑 宗久)
エイジレス革命」(ディーパック・チョプラ)
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Category: | Date:2006/10/26


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