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らぶぁんどぴーす ~軍事力~

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今回は少しずつ自分の意見を交えて
軍隊のあり方について考えてみたい。

抑止力と「相対的な」平和

国際紛争について語るとき避けて通れないのが抑止力という言葉。
太平洋戦争以降、絶大な殺戮兵器により戦争は冷戦の時代を迎えた。
特に核兵器という強力な兵器によって、戦争を仕掛ければ核による報復で
自国も破滅に追いやられることがわかっている。
この抑止力によって、世界は以前よりも平和になったと言われている。
人類は放っておけば利権関係により争いが起こるもの…という前提において
それを未然に威嚇・抑止する絶大な力があれば
なにもない状態よりも、世界は「相対的に」平和になると言われている。

ただ、この相対的という言葉は非常に曖昧な言い回しでもある。
相対的という言葉には、甘い塩という矛盾を成立させる力がある。
粗塩よりも、甘い塩…は理にかなっているが、塩はしょっぱいものだ。

軍隊は国民を守らない!?

軍隊があると国は安泰になるのだろうか?
たぶん、答えはYes だ。
では、質問を変えてみる。
軍隊があると「国民」は安全になるのだろうか?
この答えは、YesともNoとも言い難い。

ある研究によると、軍隊は他国民以上に自国民を殺しているのだそうだ。
この100年間で、軍隊により殺された人の数はおよそ2億人。
そのうち、半数以上は自国により殺された自国民なのだそうだ。
クーデターや内乱の鎮圧、その他国益を妨げると判断された場合の武力行使は
自国民に襲いかかるのだという事実を忘れてはいけない。
この数値のみで判断はできないかもしれないが、
軍隊は国民を守るためのもの…とは言い難い側面もあるということだ。

軍隊というのは、国家による「暴力の正当化」である
この事実をはっきり認識する必要がある。
僕らは国家に軍隊を持たせて何を守ってほしいのだろう。

「祖国か民か!?」

テロはなくならない?

抑止力とは、拳銃を持った競合同士が、
お互い銃口を突きつけたまま寝食を共にしている状態。
これが今の世界の状態だと思えばいい。

拳銃を持っていない3人目は、ただ顔色を伺って
言われるがままにする以外に方法がないかもしれない。

拳銃を持った相手が、それでも物分りのいいヤツなら、
まぁ、その場には平和が訪れるかもしれない。

でも、そうでなかったら…

拳銃を振りかざし好き勝手に搾取をするとんでもない輩なら。
耐えきれなくなった3人目の彼は、捨て身の覚悟で、
正義のために、拳銃めがけて飛び込む!だろう。
これが、テロだ、と僕は思う。

テロは社会悪ではなく、彼らにとっては正当化された暴力でしかない。
国家のもつ軍隊と本質は同じだ。
テロは無差別で非道じゃないかって?
丸腰の相手に、銃口を突きつけておいて、
金的はなしだぜ!って言う方が、よっぽどフェアじゃない。

残念ながら、現在強力な軍隊をもっている多くの国々は
資本経済っていう搾取の怪物を飼っている。
第三世界の彼らにとって、物分りのいいヤツでないことは確かだ。

コスタリカに学ぶ平和憲法

コスタリカという国をご存知でしょうか?
実は憲法で、武力を持たない!と明記しているのは
日本と、このコスタリカの2国だけなのです。

ただ、日本は世界でも5本の指にはいる自衛隊という名の
武力を実際には保持しているわけだから、
実質上の平和国家はコスタリカだけ、なのかもしれない。

軍隊をもたない平和などありえない、侵略されておしまいだ
。。。と、言われ続けてきた。
国家予算に多大な税金を使い人や物を壊す道具を開発し続けてきた。

現在の国際社会の中では既に侵略戦争自体が認められていない。
その意味では、すべての国は自衛権しかもっていない、に等しい。
(その中での自衛隊の持つ意味も考えさせられるが…)
そういった中で、軍隊の非保持というのは夢物語だ、とも言えなくなってきた。
現にコスタリカでは、1949年以降、軍隊を保持せずにことごとく紛争を回避している。
国政を圧迫していた軍事費は、そのまま未来のため子供の教育予算にあてている。
基本的人権の教育を徹底し今では、識字率99%と、南米ダントツの教育水準を誇っている。

経済大国日本では、コスタリカ以上の「切り札」をたくさん持っているはずだが。。。

憲法ってなんだ?

憲法とは「国民が国に課す」制限なのだ。
僕ら国民に課せられた義務では決してない。
国民が安泰に暮らすために、そして国家の権力が行き過ぎないように
国民が国家を制限するための約束事、それが憲法だ。

憲法九条とは、国家に対して「武力は使うなよ!」
「政治力だけで、平和的解決の道を必死に探しなさい!」って
国民が国家に対して命令していることに等しい。

憲法を改正し武力行使を認めるということは
国に対して
「僕を兵士として使ってもいいですよ?」
と、権利を受け渡すことだ。
現憲法の約束を守れないふがいない国家に、
僕らの力を軍隊というオモチャにして買い与えるようなものだ。

できることはすべてやったけど八方塞がりで、平和のためにはやっぱり軍隊が必要だ!
という結論が導き出されたというならわかるけれども…そういう努力は見えてこない。

憲法は国家に対して僕ら国民が望む社会のあり方を命令するものなのだ。

(つづく)
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Category: | Date:2010/05/13


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